書籍・雑誌

告白/湊かなえ

「本屋大賞2009」の大賞に選出された作品。

娘を殺された教師、その犯人である少年A・B、クラスメイトの少女、少年Aの親族それぞれの独白だけで構成される5編による連作小説である。

第1章は娘を失った女性教師による「告白」。3学期の終業式の日、教師から生徒への挨拶の時にその「告白」は始まる。

文科省のモデルクラスとして牛乳をこの1年間飲んだことに関する生徒へのねぎらいから始まり、今季限りで自分が教師をやめること、その原因は娘を失ったからだと「告白」を始める。

そして自分が娘を失った原因は新聞などで報じられているような事故ではなく、「このクラスの生徒に殺されたのだ」と告白は続く。

やがて話題は、たとえ教師といえども親というものは生徒よりも自分の子供を大事に思うのだということ、「生徒のために自分を犠牲にしてもいい」などと声高に叫ぶ熱血教師への批判、少年法の不条理、復讐とはなにか、と話は進んでいく。

娘を失った親として殺人を犯した生徒をじわじわと遠回しに責める散文的な彼女の「告白」は最後に背筋が凍るような言葉で締めくくられる。

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第1章は僕がこれまでに読んだミステリ作品の中でかなり上位に入る名作だと感じました。

娘を失った教師がやり場のない怒りをまき散らすように語る言葉一つ一つが最後の重大な告白に収束されていく様は、ミステリの傑作と呼ぶにふさわしいものでした。

通常のミステリで問題となるのは本書でいえば娘が殺された真相についてですが、この物語では告白の時点で教師はすでに「誰が、どのように殺したのか」という、ミステリの肝といえる部分を知っています。

殺人という謎が与えられてそれを解く、というのが正当なミステリのはずです。

ところが本書では謎が与えられないまま淡々と告白だけが続き最後のページをめくったときに突然「解」が与えられ、読者は不注意に読み流した「告白」の中に秘められていた「謎」に気づくことになります。

ただ、とても救いの無い物語ではあります。

後味の悪さからか、amazonの評価でも最低点を付けている方が多くいらっしゃいます。

実際、物語の主人公である教師の告白や行為はあまりに常軌を逸脱しているし、「方法」は倫理的にも許されるものではありません。そしてそんな物語を描いた作者の人間性を疑う、という気持ちをわからないでもありません。

でも常軌を逸脱しているからこそのミステリだし、倫理的にあってはならないことだからこそ驚きがあるのではないでしょうか。鉄砲で人を撃ったり、残虐に殴り殺したり・・・。そういった殺人は許容するのにこの「告白」を許容しないというのはきれい言にしか聞こえません。当事者が教師であり学校であるという点からなのかもしれませんが、この作品を許容しない精神はよくわかならいです。そもそもですが「娘を殺された親」の感情を思えば共感のほうが多くあるべきだとすら僕は感じました。

また、本書が「本屋大賞」に選出されたことへの疑問も多く見受けられました。

確かにかつて「夜のピクニック」を大賞に選出したような賞が、この作品を大賞に選出するというのは驚きではあります。たとえば芥川賞だとか直木賞だとか出版社が主催しているような賞であれば「選出されるべき作品の傾向」があり、おそらく「夜のピクニック」を選出する賞は本書を大賞には選ばないでしょう。

にもかかわらず、本書のような傾向の全く違う作品を選出できるのは「本屋大賞」だからこそでり、本書の受賞はまさに本屋大賞が「純粋に本屋店員が良いと思った作品を推薦する」という使命を全うした結果だと思います。

純粋にミステリを楽しむ事が出来る方にはとてもオススメできる作品です。

一方で、第1章だけではなく全編通して徹底的に後味の悪さが残る作品なので、そういったものを敬遠したい方は読まないほうが無難かと思います。

告白

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週末のフール/伊坂幸太郎

8年後に隕石の衝突によって人類が滅びる。

―その事実を知った人々はは大混乱に陥った。

ありもしない「安全な場所」に避難しようと足掻き、食料のために略奪をし、人を殺し、恐怖が世界を支配した。

その発表から5年後、終わりの時まであと3年という状況で、混乱は一時的に収まり街は小康状態を保っている。

そんな世界を舞台にとあるマンションの住人の物語を描いた連作小説。

恐怖と安定が危ういバランスで保たれている世界での、娘と不仲な父親や、妻が妊娠した優柔不断な夫などのありふれた日常生活が描かれている。

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伊坂幸太郎作品にしては珍しくミステリではなく、「生きる」事を大きなテーマとした人間物語です。

僕はこの作品を残念な秀作だと感じました。

その最大の原因は、物語の中で世界が終わる事とそれぞれの物語に必然性が無いことです。

例えば表題作、「終末のフール」では親子の諍いとその和解が描かれますが、彼らは世界の終わりがあろうとなかろうと同じようにいつかは和解したはずです。

これはどの物語にも言えることで、世界の終わりという大上段なテーマは「人はいつか死ぬ」事をわかりやすく強調する役割にしかなっていません。

そのつもりで書いているのでしょうけど、せっかくの設定がもったいないと感じます。

世界の終わりというテーマはよくあるものですが、それを3年後に控えた安定期の物語という設定はとても面白く感じていたのに、それを設定無しでも十分描ける小さな物語に利用してしまったことがとてももったいなく感じます。

とはいえ、少し間抜けなのに理知的な会話やサクサクっと伏線回収という伊坂幸太郎らしさは健在で、それなりに楽しみながら読み進めることが出来ました。なので「残念な秀作」です。

個人的には「演劇のオール」の題材で1冊書いた方が面白そうだと感じました。

終末のフール

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武士道シックスティーン/誉田哲也

北乃きいと成海璃子ダブル主演での映画が今春公開される同名映画の原作。

装丁のかわいさやタイトルか滲み出るいかにも青春っぽい雰囲気の通り、剣道を題材にして二人の少女の出会い、そして成長が描かれる。

宮本武蔵の「五輪の書」を愛読し、兵法家として強くなる事を目指す香織。彼女は時代錯誤と思われるほど剣の道を究めることに傾倒しストイックに己を磨く。

中学の全国大会で準優勝したほどの実力者である香織が肩慣らし程度に参加した市大会で突如正体不明の強敵が現れ、香織は負けてしまう。

不気味な強さを持ったその相手と再戦し打ち倒すために、香織は剣道名門校への進学を決める。

一方、市大会でとても強いと噂の選手をなぜか倒してしまった早苗は剣道名門校の付属中学を卒業し高校に入学した。

そこで早苗は、剣道は滅法強いのに時代錯誤も甚だしい程にストイックな香織と出会う。

やがて香織は、早苗があの謎の強敵であることを確信するのだが、あの市大会での強さを微塵も感じさせない早苗に納得がいかない。何より早苗自身に、強さの憧れが無く香織を打ち倒そうとする気迫が無い事が許せない。香織はあらゆる手段で早苗を挑発して本気にさせようとするのだが、二人の間にはあまりにも熱量の差があった。早苗にとって剣道とは自分との戦いであり、勝敗に関わらず以前の自分よりも今の自分が優れていること、成長出来たことを実感することが最も重要なのであった。

やがて香織はその実力が認められてチームの団体戦メンバーとして大会に臨み次々と勝利を挙げていく。しかし、香織にとってはチームの勝敗などよりも自分がどれくらい勝ったか、どれくらい強いかということだけが意味のあることであり、チームメートでさえもいかに打ち倒すかという事だけが気になる存在であった。

そんな香織の姿勢はチーム内の反目を生み、大会中の怪我と合わさって香織は部活への参加を禁じられてしまう。

そんな時、とある事がきっかけとなり香織は何故自分が強くなろうとしているのか、強くなってどうするのかという疑問にぶつかってしまう。迷いを断ち切れない香織は復帰した部活でもふがいない結果を出してしまう。全ての自信をなくしてしまった香織は部活を辞めることを決める。

そんな香織に早苗が条件を出す。市大会――二人が出会ったあの大会で、もう一度勝負しよう、と。

そして早苗が勝ったら部活に戻って来る事を条件とした。

それは、己の成長を中心に据える早苗にとって初めての「どうしても他人に勝ちたい試合」であった。

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本書は剣道を中心に2人の成長を描いていますが剣道未経験者でも全く問題なく読み進めることが出来ると思います。

物語は主人公2人が交互に一人称で描かれ、難解な表現や謎などもなく文章も素直で読みやすくなっています。

香織が部活内で浮いてしまう所など重くなりがちな部分もありますが、文体が軽やかなので終始さわやかな気分で読み進めることが出来るはずです。

また、全3巻ではありますが一冊ごとに話は完結しているため、とりあえずこの巻を読んでみるということも可能で高校生・大学生や、これから小説を読み始めるという人にはよいのではないでしょうか。

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オーデュボンの祈り/伊坂幸太郎

システムエンジニアを退職した伊藤はコンビニ強盗に失敗してしまった。伊藤を捕まえたのはかつての級友であり、異常な程に残虐な性格をもった城山であった。城山から逃走した伊藤が突如"荻島"という離島に連れてこられてしまう。

荻島は300年の間外部との接触がなく孤立した島であった。

島には、しゃべるカカシ・島民から殺人を許容された"桜"という男・ウソしかつかない画家などおかしな人物ばかりがいる。しゃべるカカシは崇拝とも言えるほどの信頼を島民から受けていて、例えば島で犯罪が起きれば即座に犯人とその居場所を島民に教えるなど特別な能力があった。

訳もわからず島に連れてこられた伊藤に対してカカシは島民に対しては決して言わない"未来の事"を語りだす。

「自転車をこぎなさい」

一方伊藤に島の紹介をしていた日比野は島の言い伝えを語りだす。

「この島にはたった一つだけ欠けているものがある。そして外部から来た人間が"それ"をもたらすだろう」

全てが狂っている島に伊藤が訪れた翌日、カカシが何者かによって殺害されてしまった。

いったい誰がカカシを殺したのか。

カカシの予言は何を意味するのか。

この島に欠けているものとは何なのか。

なぜ桜は殺人を許容されているのか。

伊藤が来る3か月前にこの島を訪れた曽根という男、鳥とカカシだけが友人であるという男、太ってしまって一か所から動けなくなってしまった女性、地面に耳を押し当てている少女―。

謎が次々と現れる中、伊藤はカカシを殺した犯人を探し始める。

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伊坂幸太郎のデビュー作です。

伊坂幸太郎といえば、軽妙な文章と鮮やかな伏線回収ですが、本作もそれに洩れず多くの謎が次々と現れます。

ミステリというのは、子供がおもちゃ箱からレゴブロックを取り出して何かを作ろうとすることに似ています。

伊坂幸太郎は「そんなブロックとりだしてどうするの?あ、そんなのまで取り出して、ちゃんと作れるの?」とこっちが心配になるくらいブロックを取り出して、そこから見事に何かを作り上げる名手です。

しかし、近年の作品と比べてこれぞデビュー作と言った感じで、このオーデュボンの祈りは、謎は次々にばら撒かれるけれども片づけ方は随分と雑です。

おもちゃ箱ごとひっくり返してレゴブロックを一応は積み上げて何かを作ってはいますが、使い切れなかったブロックをこっそりおもちゃ箱に返していたり、余ったブロックを適当に積み重ねて「塔」と言い出したり、といった言った感じでしょうか。

一番大きなテーマといえる「この島に欠けているもの」は物語的には不満足ですが、小説という事を考えると予想外からの答えという意味では面白かったです。

ともかくこの作品はは「伊坂幸太郎という才能」が一切操縦されないままに才能の先走るがままに飛び回っているようなものです。

「伊坂幸太郎大好き」という方が、その才能の暴走を楽しむにはとても良い作品です。一方で伊坂幸太郎の一冊目としてはあまりオススメできません。

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ヘヴン/川上未映子

斜視が理由でいじめられている"僕"と、同じようにいじめられている少女・コジマ、そして利己的ないじっこの関係を基に"善と悪"というテーマを扱った物語。

ある日"僕"のもとに送り主不明の手紙が届いた。何度か手紙のやり取りを続ける内に、やがて"僕"と送り主は会う事になる。

その送り主は、薄汚い恰好をしているという理由でいじめられている同級生の女の子・コジマであった。

同じ境遇に在る者同士の二人は徐々に心を通わせていき、"僕"は少しづつコジマの事を知り、興味を持っていく。

例えばコジマが薄汚い恰好をしているのは、父親との思い出の「しるし」としてあえてしているのであった。

そしてコジマは"僕"の事を「しるし」を持つことによって理不尽な暴力に晒されている「仲間」だと言う。

"僕"と出会ったことでコジマの中に"強さ"強さが生まれていき、いじめられること、やりかえさないこと、今生きていること、そんな全てに意味があるのだと語るようになる。いじめをしている「彼ら」には、いじめることで生まれる"僕ら"の思いなんて理解できない。それをわかっている"僕ら"が、弱くて、でも本当は一番強いんだ、と。その"強さ"こそが"正義"なのだ、と。

全てに意味を見つけて強くなるコジマを見ていて、なんだか少し遠くに行ったような気がする"僕"。

一方、いじめっこグループの一人である百瀬は別の"強さ"を"僕"に語ります。

"僕"とコジマをいじめている百瀬たちの心は痛まないのか、いじめることに何の意味があるんだ。そう訴える僕に百瀬は言うのです。

意味なんて元々ない。"正義"なんかでもない。いじめをしていてもても自分は痛くもかゆくもない。大して面白くもない。ただ、いじめてるだけだ。もちろん、いじめることに意味などない、と。

ところがある日、「しるし」であるはずの斜視が手術によって治るということを"僕"は知ってしまう。

コジマの言う強さも百瀬の言う"強さ"も"正義"も"意味"もよくわからない。けれど、斜視を直せばいじめから逃げられるのではないか。

「しるし」を失っていじめから逃げ出せるかもしれない。でも、「しるし」を失ったとき僕とコジマの関係はどうなるのだろうか―。

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本書が面白いかどうかと問われると、ぜんぜん他人に勧められるものではありません。

グロすぎるいじめの描写や、僕とコジマの少し湿っぽい心の交流など決して娯楽作品として喜んで読むようなものではないと思います。

そして、登場する全ての人物が年齢よりもはるか論理的なのです。彼らはあくまでも作者の意図を極端切り分けた人格でしかなく、ある意味では川上未映子さんの一人芝居のようなものです。

僕は川上未映子さんの言語感覚がとても好きなのですが本書でもその片鱗を垣間見ることが出来ました。

いじめられることの意味を自分の言葉で話し続けるコジマのちょっと回りくどい言い回し、そしてコジマにとって大事なこと―なぜ大事なのか"僕"にはわからないけど―を2回繰り返す癖、「うれぱみん」だとか「~なのです」といったちょっと演技がかったような少女独特の浮遊している言語感覚。

コジマの「髪が固くて多い」だとか「鼻の下に産毛が生えていて常に少し黒い」というような決して美人ではないという描写・設定。――もしこの物語を男が描いた時、いじめられている僕を救う光であるコジマは、外見が優れてるという設定になるに違いありません。そしてコジマではなく小島であるはずです。

また、(これは計算してやっているのか微妙ですが)百瀬とのやり取りの中にある、小説に関するやりとり。紙の向こうで"僕"がうけている屈辱的ないじめが紙のこっち側から眺めているだけの僕にも届くような、反論したくても出来ない悔しさを共有させているかのようです。

そしてクライマックスの最中、"僕"の中で渦巻くコジマと百瀬が言う"強さ"という言葉の意味。

でもやはり"僕"の心情が強まる部分やコジマが熱く語るシーンでは川上未映子さんの持つ言葉のリズムが溢れていて、鍵カッコにはさまれて文字が詰まりすぎているようなページでも波にのせられるように自分も揺れながら読み進めることが出来ます。

結論から言うと本書は誰にも薦められません。川上さんの大ファンの方であれば過去の作品に比べてその独特な言語能力が影を潜めているようにも思えるだろうし、ファンじゃない方にとってはリアリティのないいじめと哲学遊びを見せられているだけの物語だからです。

個人的には、稀代の日本語使いである作者がその爪を短く切って研いでいる途中であって、その結果爪は折れてしまうのか、あるいはより頑強で鋭く美しいものに変貌するのか、と今後の作品を楽しみさせられるだけの価値はありました。

ヘヴン

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悪人/吉田修一

「悪人は誰なのか」というテーマに対してとことんリアリティをつきつめて描いた作品。

この物語にはこんな人々が登場する。

出会い系で出会った女に冷たくされたからと殺し、それを隠し、さらには殺人後に新たに出会い系で出会った女を連れて警察から逃げる男。

初めて行った風俗で店の女に恋をし、まめにお店に通い、時にはおなかを空かせているであろう女に弁当を持っていってあげる。一緒に暮らしたいという願いを叶えるために家を借りたにも関わらず、女に逃げられてしまう男。

自分を育ててくれた祖父母の面倒を良く見て、祖父を病院まで送ったり、時には近所の老人をも送ってあげる優しさを持った男。

車にしか興味が無く、性格はやや暗めでまわりからは物静かで何を考えているかわからないと思われている男。

この本を読むと普段僕らがニュースで見る「殺人が起きた事」と「加害者が逮捕された」という物語が点でしかないことを思い知らされる。容疑者として晒されている顔写真だけの人にも彼の人生があり、加害者となるまでの文脈があり、彼の罪を憂う親がいて友人がいる。

「根っからの悪人なんていない」だとか「殺人を犯すほどの理由が誰にだってある」だとかを言いたいんじゃない。ただ、間違いなくすべての人間に過去があり、感情がある。

当たり前のようでいて、物語としてそれを見せるのは難しい。

正義の主人公は終始一貫して元気で明るく正義を声高に叫ぶ存在であるべきだし、悪人は殺されるべき運命を持った者として描かれなくてはならない。

一つの物語で人物の多面性を移せばそれは「キャラが定まっていない」という評価になる。あくまでも登場人物は極端な一つの性質を持ち、いくつかの「やむをえない理由」によってのみ別の面を見せることが出来る。

そんな物語の常識を張り倒し、現実的な「人間」を描いた名作がこの「悪人」だ。

何しろ、僕が上のほうで書いた登場人物「たち」は全て同一人物なのだから。そしてそんな彼の多面性が心の病などではなく、一個の人間の中に埋まっている事を違和感無く受け入れる事ができるからだ。

オマケ

僕は司馬遼太郎が大嫌いだ。彼の物語でも、「悪人」と同じように人間の多面性が良く描かれる。しかし、彼のは描いているというよりも「物語の都合上そういう性格じゃないと困るからそうします。」といった感じでただ作者自身がいきなり紙の上に登場して「彼は~~という一面も持っていた」と喋るだけというひどさ。それに比べて吉田修一の筆力は圧倒的だともう。

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武士道シックスティーン

武士道シックスティーン

2010年1冊目。

剣道部に所属する性格が対照的な女の子二人の物語。

タイトルと外装が素敵なので読んでみた。

んが、最後までは読む気になったけど取り立ててぐっと来ない本でした。ナンテコッタ。

まぁでも今年は読んだ本は全部レビュー書くと決めたので・・。

剣道のことはさっぱりわからなかったんだけど、やっぱり静と動があるスポーツはいい。

こういう題材だとどうしても「ちはやふる」と比べてしまう。静と動の空気感の伝え方で「ちはやふる」を超えることが、小説にはできないかもしれない。

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告白/湊かなえ

「愛美は事故で死んだのではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」

告白

本屋大賞2009の作品。

娘を殺された教師、その犯人である少年A・B、クラスメイトの少女、少年Aの親族それぞれの独白だけで構成される5編による連作小説。

実は本屋で時間つぶしに開いたのだが、そのまま2時間立ちっぱなしで読みきってしまった。

第1章は教師による「告白」。3学期の始業式の日、1年間文科省のモデルクラスとして牛乳を1年間飲むことになったことに関する生徒へのねぎらいから始まり、今季限りで教師をやめること、その原因は娘を失ったからだと「告白」を始める。

やがて話題は自分が、生徒よりも自分の子供を大事に思うこと、"生徒のため"などと声高に叫ぶ熱血教師への批判、娘は事故ではなく殺されたのだということ、少年法、復讐とはなにか、と話は進んでいく。

この本の題は「脅迫」でもなく「自白」でもなく「告白」である。

娘を失った親としての「告白」、殺人を犯した生徒に関する「告白」、そして最後に散文的な「告白」が一点に集約されていき、本を持ったまま立ち尽くすような終点を迎える。

告白の構成、伏線がきれいに纏まっていく一文。

今年読んだミステリものでは間違いなく1番でした。

よくある「最後の一文で大どんでん返しが起こる」というような帯の本で、それほど驚かされたことはないけど、この本の第1章の「最後の1ページ」だけは間違いない。

オススメです。

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パレード/吉田修一

パレード (幻冬舎文庫)

友人のお勧めで読みました。

で、いきなりなんですが、「読もうかどうか悩み中」の人はこのレビューを読むのはお控えください。ネタバレが結構致命的になったりする小説です。まだ読んでない人に僕ができるレビューは「おもしろい」だけです。

ネタバレにも色々ありますが、たとえば「推理小説の犯人を言う」というタイプのレビューではなく、「M-1にナイツというコンビが出てきますが彼らのネタは、まず『誰もが知っていることについてあたかも秘密を教えるかのようなテンションで教えようとして掴みを取り、その説明は大体ダジャレです。あと、野球ファンしかしらないようなネタで笑いを取りつつ、最後の1分あたりにダジャレで下ネタを言います。その後、少しづつ下ネタを重ねながら最終的にただの下ネタを言います』。とても面白いです。では、見てください。」と言ってしまうような感じです。

実際僕はこの本の「犯人」自体は半分読んだあたりで見当がついていました。

最後にドンデン返しがある、ということを僕は知っていたから考えながら読んでしまったのですが、それを知っていれば誰でもわかるものかと思います。ので、その事で興がそがれたかというと微妙ですが知らなかったほうが楽しかったかも。

ただ、最後に「迷惑そうにしたこと」「裁かれなかったこと」(←読んだ人にはわかる)のほうがオチとしては「怖い」部分だったのでドンデン返しという看板に偽りはありませんでした。

内容はともかく、僕は「他人同士が何らかの事情で共同で何かをする」という設定が好きなのでとても楽しく読めました。

この話の主題は人間関係の距離感だと思います。

奇妙な共同生活をする5人が、それぞれに「共同生活の場で見せる自分」と「それ以外の自分」を持っていて、それは現実世界で誰もが持っている多面性です。

そしてお互いにそれ以外の面に踏み込まないことでその共同生活が成り立つこと、それを破ってしまうこと、破られてしまうことの恐怖は読むに値する味がありました。

この作者のほかの作品も読む気になりました。

薦めてくれた人、どうもありがとうございました。

ちなみに作中は千歳烏山を舞台に展開されるのですが、近所なので楽しかったです。

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その時までサヨナラ(山田悠介)

著者は日本語が下手です。でも作家として有名な方です。
僕もだいぶ昔にどれか一冊読もうとしました。でも言葉の誤用にイライラしてしました。数ページで読むのをやめました。

もしかしたら今なら読めるかもと思いました。ダメでした。
言葉の誤用のせいではありません。
こういう文体だからです。

この人は場面の様子を伝えるのが下手です。一文で済むことを何個にもわけます。
子供の作文みたいです。読んでて疲れれるうえにテンポが悪くとても不愉快でした。

なのでまた数ページでやめちゃいました。

僕の思考が緩慢になって、複雑な文章を読めなくなったらまたこの本を開いてみます。
―その時までサヨナラ。

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