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2009年11月

在日コリアン概論-基礎Ⅰ(必修)

この記事の目的

在日関連の記事を書こうと思ったんだけど、「この言葉説明しないで大丈夫か?」という疑念がわく事が多すぎるのでこの記事にまとめておきたいと思います。

題名は大学の講義っぽくしてみました。 

この講義は必修ですが出欠は取らないし試験もしませんww

記事を読んでくれた人全員に"準可"を差し上げます。単位がほしい学生にはたまらない講義ですなw

僕の在日コリアン的プロフィール

「在日コリアン」と一口に言っても一括りには出来ないし、そもそも定義も曖昧だし、ってわけで「僕がどの立場の人間で、どういう知識・経験を基に記事を書いているのか」明確にしておきます。

出生: 日本

血筋:  父方の祖父・母方の祖父母は朝鮮半島出身 父方の祖母は日本人

教育: 小中高は朝鮮学校 大学は某地方国立大学 

国籍: ~高校生まで朝鮮籍 高校の時に韓国籍に変更。現在も韓国籍。

つまり日本生まれ日本育ち、朝鮮学校に通っていた在日コリアン3世ということです。

ニューカマーとオールドカマー

在日コリアンについてわりと頻繁にある勘違いというか混同についてまとめておきます。

「在日コリアン」には大きく分けて2種類います。

オールドカマー 戦前戦後に朝鮮半島から日本に渡ってきた人たちとその子孫 ←僕はこっち

・「特別永住権」をもっている(帰化済みの人は除く)

日本語能力は通常の日本人と同じ。韓国語は人によって差があるが基本的にはニューカマーより劣る。

日本で生まれ育ち、基本的には日本で生涯を過ごす。韓国・北朝鮮に"帰る"つもりはない。

・本名とは別に通称名を持つ者が多くいる。本名とは朝鮮式の名前(金 ○○)で、通称名とは日本式の名前(金田 ○○)のこと。本名のみで生活したり、通称名だけで生活したり、二つを使い分けたり、そもそも通称名を持っていなかったり、とその運用は人それぞれです。

国籍は朝鮮・韓国・日本と様々。朝鮮籍だからといって北朝鮮大好きだったり、帰化したからといって必ずしも「完璧に日本人になる」というチョイスではない。もちろん「完璧に日本人になる」つもりで帰化する人もたくさん居る。

⇒国籍を基に「在日コリアン」か否かの判断はできない。要は当人の気持ちの持ち様次第だったりする。

ニューカマー 主に韓国から仕事や留学などで日本に来ている人たち

・労働、勉学などの「在留資格」を持って日本に来ている

・母国語はハングル。

・日本人と結婚でもしない限りはいずれ韓国に帰る

・国籍は韓国で、当然帰化はしない。

両者の違い

結局一番わかりやすい判断方法は「日本語能力」です。ニューカマーはどれほど日本語を習熟しても多少の違和感が残ります。(外国人タレントがどれほど日本語上手でも"やっぱり日本人とはちょっと違う"というのと同じ)

オールドカマーは本名を名乗ったりしていない限り、外見や言葉では日本人と見分けはつきません。

上の特徴一覧を見て分かるとおり、両者は日本における権利、国家観、境遇などすべてが違います。なので、両者を同列に語っているようなコピペは、それだけで嘘だとわかります。

敢えて言及しない限り、このブログで言う「在日コリアン」とはオールドカマーの事です。

※以下、省略しますが「在日コリアン」というのは全て「オールドカマーの在日コリアン」のことです。

朝鮮・韓国

概論の基礎Ⅰだから、すごく初歩的な事書きますね。

朝鮮と韓国は「単一民族の分断国家」です。西ドイツと東ドイツと同じ関係です。

「在日コリアン」の一世、つまり朝鮮半島から日本に渡ってきた来た人はほぼ全員(約99.5%)現在の韓国領出身です。

にもかかわらず、北朝鮮の方が「在日コリアン」には支持されていました。これは当時の共産主義に対する評価や、戦後の「在日コリアン」に対する北朝鮮・韓国政府それぞれの扱い方において北朝鮮の方が親身だったためです。(※だいぶざっくり書いています)

「在日コリアン」の中でも特に朝鮮学校出身者は「両国はいずれ統一する」という希望・妄想・現実逃避を持っています。

朝鮮学校

これについては僕の私見だけでひとつの記事になるので、ここではwikiから基本的な情報だけ抜いて引用しておきます。

この引用にすら反論、というか現実的視点で物申したいですが、とりあえずそれはいつか記事でちゃんと書きます。

在日朝鮮人に対して朝鮮語を用いた教育を行う民族学校(教育施設)のこと
(中略)
いわゆる一条校ではなく、すべて各種学校()である。
(中略)
朝鮮学校においては、北朝鮮寄りで日本の検定教科書ではない独自の教科書(学友書房が発行)が用いられており
(中略)
朝鮮学校内では授業はもちろん日常会話も朝鮮語が使われ、日本語は外国語教科として教えられている。内容は日本の国語教科書に出てくるものとほぼ同じである。民族教育の割合は35%で、ほとんどすべての科目において、北朝鮮の最高指導者である金日成・金正日親子に対する忠誠教育が施されており、
(中略)
このような朝鮮学校の偏った教育に対する批判や、学費無料の公立学校に通わせる保護者が増えたこと、進学の面で不利になる(近年になって国公立大学受験資格が原則的に認められた)朝鮮学校を忌避する傾向が出てきたことにより、朝鮮学校在籍者数・割合ともに減少し、財政基盤の悪化により各地で学校の休校(廃校)・統合が相次いでいる。
(中略)
生徒数
1970年代初頭には4万6000人を数えた全国各地の朝鮮学校の生徒数は、2004年度には1万1500人[9]、2008年2月時点では1万1000人まで落ち込んでいる。また、朝鮮籍子弟が朝鮮学校に通う割合も年々減少し地域によって差があるが1~3割といわれている[9]。
(中略)
進路
高級部卒業後の進路は、主に朝鮮大学校進学、一般の大学等に進学、就職である。就職の場合朝鮮総聯の関連団体や在日韓国・朝鮮人経営の企業への就職が多い。進学の場合は各校によって差はあるが例を挙げると九州朝鮮中高級学校の高級部卒業生のうち朝鮮大学校への進学は25%その他の学校50%である[10]。朝鮮大学校卒業者の場合各地の朝鮮学校教師になるものもいる。
(以下略)

※各種学校について:予備校とか自動車教習所と同じ扱いということです。

終わりに

慣れてはいるけど、やっぱりネット上で在日が誹謗中傷されていると傷つきます。

それ以上に、間違いだらけの情報を鵜呑みにして、在日の悪口を書いているようなブログとかを見かけるととても悲しくむなしい気持ちになります。

少しでも在日に関する「正しい情報」を伝えたいと思います。そのうえで「やっぱり在日はおかしい」というのであれば、そこから議論を始めましょう。

そのほかどんな初歩的なことでもいいのでコメントで質問してくだされば加筆or記事として書きます。

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楽しい詭弁

かつて日本もそうであったように多くの国々で、その家の長子、とりわけ長男は優遇されてきました。親の跡目を継ぐのは長男である、という考えが当然であり、実際彼らが親の後を継ぐことが自然でありました。

でも実際には次男や、それ以降の弟の方が優秀なケースはいくらでもあるはずです。ならば「家を存続させるため」に長男に家を継がせる事は必ずしも良いとはいえないのでしょうか?

確かに中には優秀な弟たちもいるかもしれません。しかし、同一の父母から生まれた場合、長男のほうが優秀な可能性が高いのです。

その証拠として、各国の政治家やスポーツ選手、または年収上位者の統計を取ってみたところ、彼らが長男である確率が圧倒的に高かったのです。

だから「基本的には長男に継がせる」という方針は正しい、と言えます。

以上は詭弁です。

ミスリードによって実際には正しくない結論を導いてしまっています。では、どの部分が詭弁でしょうか。

ただし以下の部分は事実です。

その証拠として、各国の政治家やスポーツ選手、または年収上位者の統計を取ってみたところ、彼らが長男である確率が圧倒的に高かったのです。

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「うまい演技」の条件

ドラマとか見てて演技がうまいとか下手とか思うけど自分なりの基準は「セリフが演者にちゃんと乗っているか」なようだ。

たとえば下の動画の45秒くらいからの「男はね―」とか。

一息で言い切るにはちょっと長すぎるセリフで、構成もストレートじゃない。実際に声に出そうとしてもイントネーションが凄くむずかしそう。それを違和感なく、というか一発で聞いてる人に余すことなく伝えきれる言い方だと思う。

この映画絶対ひどい出来だろうけど、でも井上真央のこの演技はちょっとすごいわ。

これ以外だとフラガールで蒼井優が東北弁でまくしたてるのとかもすごかったなぁ。

宮崎あおいはどんな役でも、一定以上の水準で、乗ってるから大好き。

今やってるドラマだと大後寿々花が乗りすぎてて、ドラマ自体から浮いちゃってる気がします。

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3層構造とかオブジェクト指向とか

3層構造

一応IT業界とやらにいるんだけど、この業界で早いうちに身につけなくてはいけなかったことは3層構造だったのではないか、と思う。
あらゆるシステムは3層構造から成り立っていて、それはもう一つの思想といってもいいくらいに万事に浸透している。
3層構造とはもちろんweb-application-Databaseの事だ。
IT系じゃない方にもわかりやすいようにもう少し一般化させて言えばインターフェース‐機能‐情報と言った感じかな。(インターフェースの気持ちいい訳し方がわからん。)

今になって考えれば、この世の中の全てのこと――例えば人間もイベントも学校も何もかもはこの思想で捉える事も出来る。けれど、この業界にはいってくるまでそんな思想のことを気にしたこともなかった。だからこの業界の思想に染まるまではとても理解がすることが難しい。
でも、新しく何かを覚えるときにこの思想がわかってると、理解が速く済む。だから、新人さんはひとつの機能だとかアプリケーションの腕を磨くのもいいけど、まずこっちを理解すべきだと思った。(と、社内ニートが嘯いております。)

自分なりに考えをまとめておく。
(以下全て"・・・等"と書くのを省きます)
・インターフェース
:自分以外の機能と自分を繋ぐ入出力部分。"機能"がここから入ってくるものをうけとって何かをする。
インターネット検索で言えばブラウザ。
人間で言えば見た目・声・鼻・耳。
イベントで言えばイベントの内容(歌・出店・アンケートボックスなど)。

・機能
:自分が出来ること、すること。"インターフェース"から何かを受け取り、"情報"を使って何らかの処理をする。
インターネット検索で言えば「入力された検索ワードが含まれるwebページを探して表示する」。
人間で言えば「文字を書く、泣く、食べる」。
イベントで言えばどの歌手を呼ぶか考えたり演出を企画したりイベント日の段取りをしたり。

・情報
自分の中にあるデータとか種。"機能"がこれを使う。
インターネットでは膨大なwebページ達。
人間では経験・本能・知識。
イベントでは目的・伝えたいこと。

少しは解りやすく説明できたかしら?
ともかく、IT業界ではシステムは当然のこと、一つ一つのアプリケーションの設計にだってこの思想は浸透している。ような気がする社内ニート。

オブジェクト指向

なんだか楽しくなってきたのでオブジェクト指向をこの思想で捉えて見る。と、社内ニートが寝言を言っています。
("オブジェクト指向"っていう言葉が微妙にバズワードだから、「そんな説明、間違ってるよ」って言われても困るんですけどね。)

例えば"人間"を作る時のことを例にしてみますね。
まず、街にでましょう。家と会社の往復だけでは良い出会いは巡ってきません。(と、往復するだけの男が申しております。)そして気立ての良い子を見つけましょう。焦る気持ちはわかりますが抑えて、抑えて。まずはじめは笑顔で話しかけて、毎月給料の半分をあなたに振り込みます、と約束しましょう。その人となんとかお付き合いしたい?方法は簡単です。以前記事でこんなことかきました。

その方法とは、「限りなく太れ」「それが無理ならずっと近くにいろ」。ふざけてんのかと思われそうですが、質量があるものには引力があってそれは質量が多いほど大きいそうです。だから好きな子を引き寄せたければ太れ、と。

そのときはよくわからなかったけど万有引力の法則の話をしてたんだと思います。

万有引力の法則は『2つの物体の間には、物体の質量に比例し、2物体間の距離の2乗に反比例する引力が作用する』

「心もおなじだから」

だから近くにいればいるほど引き合う心も大きいと。

そう、ずっとそばにいればいいのです。朝も昼も夜も彼女の傍にいましょう。朝は自宅の玄関前、昼は彼女のPCにこっそりwebカメラを仕掛けてオフィスでの彼女を堪能しましょう。夜は彼女の部屋の電気が消えるまでずっと、ずっと見守ってあげましょう。そうやって何回かのデートや裁判を経て懲役期間が終わったら後は毎日毎日プロポーズしましょう。恥ずかしいかもしれませんが女性は毎日愛をささやかれたい生き物なのです。そうやって指輪をプレゼントしたり、臭い飯を食ったりしながらなんとか結婚まで持ち込んだら、すみません、もうこの話やめていいですか?

例えば"両津勘吉"という人間を作る時、特徴的な眉毛を作って、髪をつくって、目を作ってそれに"見る"という機能を与えて、胴体作って毛を生やして・・・・
という風に作るのが"オブジェクト指向ではない"やり方です。3層の事なんて意識せずに気の向くままに作っていくのですね。

オブジェクト指向で作るのであれば、両津のインターフェース‐機能‐情報を考えてみる。
インターフェースとして目や鼻とかを作る。機能として「嘘をつく」「やたら儲ける」とかを作る。情報として「警官としての経験」だとか「下町の情緒」を作る。
これらをつなぎ合わせて"両津勘吉"が完成する。

結果として出来上がるのは同じ"両津勘吉"なんだけど問題はそのあと。
一つは"両津のお父さん"というキャラを作るとき、オブジェクト指向で作った場合は目や鼻はそれひとつとしてモジュール化されているからそこだけさくっと持ってきて転用ができる。"両津の幼馴染"を作るときも「下町の情緒」とかが転用できる。オブジェクト指向じゃない場合はこんな風にモジュール化して転用するとは考えていないから"両津のお父さん"を作るときも転用ができない。

もうひとつの特徴は「両津に恋をさせる」場合。
「目から得た情報をもとに両津は恋をする」場合オブジェクト指向なら両津の「目」に「美貌」を入力すれば両津は「恋をする」という機能が働くようになっていることが一目瞭然。オブジェクト指向じゃなければその辺あいまいでごちゃごちゃしてるから「目」に「美貌」を入力してみたらなぜか「嘘をつく」という機能が動き出したりしちゃう。

つまりオブジェクト指向でつくれば「代用・転用」と「機能に対して必要な入力の簡素化」において優位ということです。

と、社内ニートが嘯いただけです。上の説明って、「間違っちゃいないけどオブジェクト指向の話じゃない」んですけどいいんです。
オブジェクト指向なんて、言えたら嬉しいだけの言葉ですから。

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なにそれこわい

「なにそれこわい」というコピペがあまりにもツボだったので収集してまとめておきます。

読んでみればわかりますって。

1 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 10:14:20 ID:+d796KEGP● ?BRZ(10310)
店員「当店のポイントカードはお餅でしょうか」
ぼく「えっ」
店員「当店のポイントカードはお餅ですか」
ぼく「いえしりません」
店員「えっ」
ぼく「えっ」
店員「まだお餅になってないということでしょうか」
ぼく「えっ」
店員「えっ」
ぼく「変化するってことですか」
店員「なにがですか」
ぼく「カードが」
店員「ああ使い続けていただければランクがあがって
    カードが変わりますよ」
ぼく「そうなんだすごい」
店員「ではお作りいたしましょうか無料ですよ」
ぼく「くさったりしませんか」
店員「えっ」
ぼく「えっ」
店員「ああ期限のことなら最後に使ってから一年間使わないときれます」
ぼく「なにそれこわい」
店員「ちょくちょく来ていただければ無期限と同じですよ」
ぼく「なにそれもこわい」
店員「えっ」
ぼく「えっ」


51 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 Mail: sage 投稿日: 2009/04/11(土) 00:45:23 ID: 5qU3SrgY0
店員「ポイントがたまると汚職事件と交換できます」
ぼく「そんなの困ります」
店員「えっ」
ぼく「逮捕されますよね」
店員「いえ、そのようなことはありませんので」
ぼく「バレない自信があるってことですか」
店員「そうではなく、別に違法なものではないということです」
ぼく「違法じゃない汚職事件があるんですか?」
店員「違法な汚職事件があるんですか?」
ぼく「えっ」
店員「えっ」
ぼく「なんかこわい」
店員「ですから、無料で当店の料理を召し上がれるだけですので」
ぼく「でも見返りを求められるんですよね」
店員「えっ」
ぼく「『にゅうさつよていかかく』とか教えるんですか」
店員「よく分かりませんが当店はお客様に汚職時を楽しんで頂くのが一番の見返りです」
ぼく「犯罪を楽しんでいるんですか、こわい」
店員「ですから、犯罪ではなくてですね」
ぼく「えっ」
店員「えっ」


61 名前:水先案名無い人[] 投稿日:2009/04/13(月) 19:41:10 ID:tLhcrJBr0
警官「寄生虫なので、できれば引き返して最初の信号を右に行って下さい」
ぼく「えっ」
警官「寄生虫ですから、引き返してください」
ぼく「なにそれひどい」
警官「えっ」
ぼく「ぼくが寄生虫ってことですか」
警官「寄生してるのは警察ですよ。寄生してるので重体なんです」
ぼく「えっ」
警官「えっ」
ぼく「だれが重体ですか」
警官「誰というか、まぁここを通った人全員ですかね」
ぼく「あなたも僕に寄生しますか」
警官「えーとね、あのですね、この先でトラックが横転して積荷が産卵したんですよ」
ぼく「えっ」
警官「つまり事故ですね」
ぼく「何が産卵したんですか」
警官「精肉業者のトラックで、冷凍された肉が産卵したみたいです」
ぼく「なにそれやばい」
警官「ええ」
ぼく「重体の人は大丈夫ですか」
警官「えっと、まぁ寄生虫とはいえゆっくりと動いてはいますから」
ぼく「なにそれこわい」
警官「えっ」
ぼく「えっ」
警官「とにかく、先ほどから警察が現場の方で超刺してますから」
ぼく「なにそれもこわい」
警官「えっ」
ぼく「えっ」

140 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 20:38:20 ID:GNEWa4fJP
薬剤師「処方箋はお餅になられましたか?」
ぼく「いいえ」
薬剤師「お餅になってないんですか?」
ぼく「はい」
薬剤師「それだとお薬処方できないんですけれども」
ぼく「えっ」
薬剤師「えっ」
ぼく「これがお餅にならないといけないんですか」
薬剤師「なんだもうお餅になられてるじゃないですか」
ぼく「お餅になってないですよ」
薬剤師「えっ」
ぼく「えっ」
薬剤師「とにかく、ただいまお薬処方しますので」
ぼく「あなた本当に大丈夫なんですか」
薬剤師「なにがですか」
ぼく「ちゃんと処方できるんですか」
薬剤師「私はヤクザ医師会所属のヤクザ医師ですから」
ぼく「なにそれこわい」
ヤクザ医師「えっ」
ぼく「えっ」

183 名前:水先案名無い人[] 投稿日:2009/04/15(水) 19:02:54 ID:avPwbu6U0
入国管理官「敢行ですか?」
テロリスト「えっ」
入国管理官「敢行しにいらっしゃったんですか?」
テロリスト「なぜばれた」
入国管理官「えっ」
テロリスト「えっ」
入国管理官「大罪はどれくらいですか?」
テロリスト「はかりしれません」
入国管理官「えっ」
テロリスト「えっ」

234 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 22:24:31 ID:VDR9lUBY0
店員「凍死にはご興味ありませんか」
ぼく「眠ると死ぬんですよね」
店員「えっ」
ぼく「えっ」
店員「まあお休みの間に葬場が動くことはありますが・・・・」
ぼく「えっ」
店員「えっ」
ぼく「どういうふうに動くんですか?」
店員「なにがですか」
ぼく「葬場が」
店員「上にいったり下にいったりしますよ」
ぼく「そうなんだすごい」
店員「死期報とかお読みになったことございませんか」
ぼく「なにそれこわい」
店員「えっ」
ぼく「えっ」
店員「1年に4回本屋で売ってますよ」
ぼく「なにそれもこわい」
店員「えっ」
ぼく「えっ」

157 名前:水先案名無い人[] 投稿日:2009/04/30(木) 02:01:09 ID:KZAx8arh0
医者「ウィルス検査の結果、あなたは妖精です」
ぼく「えっ」
医者「非常に残念です」
ぼく「僕が妖精なんですか?」
医者「はい」
ぼく「びっくりだけど・・・嬉しいかも」
医者「えっ」
ぼく「えっ」
医者「皆にうつらないように、人と接するのを避けてください」
ぼく「他人の目に映っちゃだめなんですか?」
医者「目というより、体ですね」
ぼく「乗り移るってことですか」
医者「はい」
ぼく「妖精が」
医者「まあそうです」
ぼく「妖精が増えますね」
医者「はやく全滅させたいんですけどね」
ぼく「えっ」
医者「えっ」
ぼく「殺すんですか」
医者「世界中に広がってますから」
ぼく「この殺人鬼」
医者「えっ」
ぼく「えっ」
医者「まぁだいたいこのクスリ飲めば自然に死んでいくんですけどね」
ぼく「なにそれこわい」
医者「あなたも毎日飲んでくださいね」
ぼく「絶対嫌だ」
医者「えっ」
ぼく「えっ」

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twitterでつぶやきたかった

タイトルのとおり。その努力の結果が右側に佇むgoogleガジェット。

だってはてなではなんかいい感じでtwitter表示されるよ?・・と思って調べたらはてなは独自にtwitterと連携している様子で。エキサイトは独自につぶログっていうの入れてるし。

はてブの機能とかもそうだし、ブログははてなの一人勝ちになっていくのでは。それなら機能拡張とかありそうだからはてなに引越しときたいけど、もうさすがにめんどいわー。

今までtwitter使う気がしなかったのは、毎日少しづつ自分の中にたまっていく色んな感情をその都度出力しちゃうと、記事一本書こうと思えるくらいの情熱というか情念見たいのがガス抜きされていってしまうのでは?という思いがあったからです。

一方で、この年でネット上の流行から取り残されてしまうと、あとは廊下に立ったまま放置されてしまうのび太のごとし、取り残されていくだけかと思ったからです。それにちょっとくらいおれもつぶやきたかったー!

「オバマが天皇に礼してたけど、片手だし、皇后に対して礼が低くない?と思ったら米国ではへりくだり過ぎ、って批判されてるなんて・・・」

とかつぶやきたかった。。天皇のことちゃんと勉強したわけじゃないから記事を書くには手持ちの種が足りないけどつぶやくくらいなら・・!と思ってたのに。

というわけでそんなつぶやき記事でした。

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笑いの分析⑮~すべらない話の分析~

■「すべらない話」は一般人でも使えるのか


「すべらない話」を見て、その技術を盗むことですべらない話を出来るようになるか、というと答えはye・・n・・・うん?って感じで、盗めるところもあれば盗めないところもあります。
そもそも「すべらない話」は「すべらなーいはなしをするだけという、シンプルな番組~」とは言ってますが、やはり普通のお笑い番組のように笑いを生むためのいろんな仕掛けを用意しています。
だからその部分を除いた話芸の部分だけからなら一般人が盗める技術は多くあるはずです。

■「すべらない話」という番組の仕掛け
「すべらない話」のwikipediaのページを見るとこんな記述があります。

松本が語ったところによると番組の内容がただ面白い話を披露するという非常にシンプルなもので、余計な演出(出演者の発言をテロップに表示する演出や、つっこみテロップ)などは一切ない[1]。そのため出演する芸人はスベってはいけないし、かんでもいけないというプレッシャーから極度に緊張しており、収録現場は異様な空気に包まれるという。放送されていない場面では、出演芸人がかなりむせているらしい。また司会者である松本の口癖は「いや?滑らんな?」で、場を仕切り直す際にも使用する。

一見、真っ当な説明のように思えますが、ことお笑いに関して言えば記述してあるこれらの内容こそシンプルにして十分な「演出」となっています。
"松本が語ったところによると"とは書いてありますが、当然松本は「面白い話」を、ひとつのコンテンツとして価値のあるもになるようにいくつかの仕掛けをしているのです。
そんな笑いを生むための仕掛けが以下の3点です。

①「すべらない話」という番組名称
②ホスト・松本人志
③サイコロ

①「すべらない話」という番組名称-Ⅰ禁止の効果


本来、この番組の内容を最もストレートに言い表すならば上の松本の言葉にもあるとおり「面白い話」になるはずです。
それを敢えて否定系の言葉に変えていることには大きな意味があります。

実は、ダウンタウンのある番組の有名な企画でもこれと全く同じ構造がとられています。
そう、「笑ってはいけない」シリーズです。

「笑ってはいけない」シリーズでは様々な仕掛けに対して笑ってしまったら罰ゲームという事になっていて、「面白い事が起きているのに笑ってはいけない」ようになっています。笑いが発生するための重要な要素として「禁止されていることをやってしまう」というフレームがあることは以前記事で書きました。(関連記事:笑いの研究1~緊張と緩和、ときどき常識~
だから、「笑ってはいけない」という禁止事項を用意することで、それを破ることによる笑いを生むことが出来るです。実際、あの企画を見ている方は、スタッフが用意した「笑ってしまう」仕掛けでもなく、タレントが尻を叩かれているシーンでもなく、彼らが「笑ってしまっている」事にこそ笑っているはずです。

もともと、この構造はテレビではよく使われていて、例えば「牛乳を口に含んで」といった企画も同じ構造です。
同じように「すべらない話」においても禁止事項が用意されています。それは「すべってはいけない」という禁止事項です。
もちろん、「面白い話」という名前でも「芸人がすべってはいけない」という禁止事項が成り立ちますが、タイトルに「すべらない」という単語を入れてしまうことでより、際立つのです。その結果wikipediaにあるような

そのため出演する芸人はスベってはいけないし、かんでもいけないというプレッシャーから極度に緊張しており、収録現場は異様な空気に包まれるという。

という状況が成り立つのです。この、芸人の緊張している様子というのも「すべってはいけない」のだということ示す演出の一環になっているんです。つまり「すべってはいけない」ということ、「演出もしてくれないこんな場ではすべる可能性がある」ということをアピールすればするほど笑いが生まれるという、お笑い独特の構造になっているのです。

①「すべらない話」という番組名称-Ⅱハードル


こっちは随分と軽めな仕掛けではありますが、この番組名称にはは「ハードル」を上げすぎない、という効用もあります。「面白い話」と直接的な表現をしてしまうと、どうしても「面白い」という言葉が際立ってしまって笑いを生みにくくなります。(関連記事:笑いの分析6~話がつまらない人の特徴~
それを婉曲表現でうまく避けてもいます。

②ホスト・松本人志‐Ⅰ最も笑う人としての役割

この番組のホストを松本が行っている事にも大きな意味があります。ひとつは松本が笑うこと、もうひとつは裏回しです。

ある集団が会話をしているときに、「その人が笑っているかどうか」が場の空気を大きく左右する存在というのがいます。会社の飲み会であれば、最も役職が高い人。友達同士であれば、いつも笑いの中心にいる人。ある程度グループの中で権力がある人の"機嫌"が場の空気を左右することは感覚的に理解できることだと思います。
だから、芸人という集団において松本が笑うことによって場の空気が和むことは間違いありません。ましてや松本は色んな角度から笑いを見つけて面白がることが出来る人です。(関連記事:笑いの分析⑩~松本人志の面白さⅠ~
MVSを取った木村祐一さんの「車屋のキクチ」のような独特な面白味がある話も松本が笑うということによって、面白さがより万人に伝わりやすくなるのです。

②ホスト・松本人志‐Ⅱ裏回しとしての役割

「すべらない話」では基本的に話をする本人だけが話しますが、多くの場合松本がすべらないための手助けをしています。松本の相槌によって笑いが生まれやすくなっているのです。

例えば、有田や河本など、オチのために敢えて聞き手の意識を逆の方に向かせる手法を使う話者(関連記事:笑いの分析⑦~前フリとオチ~)の時には、そのフリに対して「なるほど」とか「そうやなぁ」などといってその手伝いをします。
宮川がアブノーマルな話(「姉の胸」など)を聞くときには「はぁ?!」「何の話やねん」等と言って、宮川のアブノーマルさが引き立つようなリアクションをして話を回しています。
こういうリアクションはテレビではよく使われる手法ですが(関連記事:笑いの分析⑧~島田伸助~)ある程度オチの傾向などをわかっていないと出来ることではありません。
何種類もある話達それぞれに適切な対応が出来るのはやはり松本だけなのです。

③サイコロ
サイコロは「すべらない話」における唯一の小道具で、プレイヤーの名前が書いてあるサイコロを振って話者を決めます。
例えば、このルールがなければ、「松本から順番に時計回りで面白い話をする」という事になります。そうなってしまうと、実は多くの笑える要素が失われてしまうのです。
最も重要なことはサイコロの目を振る時の「自分にあたらないでほしい」という緊張と当たってしまった時の「話さなくちゃいけないのか」という落胆、それぞれのリアクションがなくなってしまうことです。


①の項目で述べましたが、笑いを生みだすためにこの番組では「すべってはいけない」という空気をアピールすることがとても重要です。
サイコロによって話者を決めるというのは、場合によっては「話さなくてよい」可能性がある事で「すべらないですむ」状況を生み、一方で(サイコロが当たったら)「話さなくてはいけない」ことによって「すべるかもしれない」状況が突然かつ偶然によってもたらされるという効果を生みます。
これが話者の緊張をさらに強めるとともに、当たってしまった後のリアクション(落胆したり、カンペを取りだして読んだり)によって笑いをとって話に入りやすくなる、という効果を生むのです。

「すべらない話」の話芸

すべらない話の中で恐らく最もシンプルだった話は河本さんの「姉がレズ」だと思います。この話を題材に話の技術について説明したいと思います。

と、書こうと思ったのですがここまでだけでも「一本の記事」として十分な質量持ってるよね?!っていうかこの記事さえも3個くらいに分割してもいいくらいだよね?クララがたったー
と言うわけで話芸の部分は次回。

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ヘヴン(川上未映子)

―――コジマの足音と入れかわるようにしてざあっという雨の音がきこえてきた。残された僕はそこに立っているしかなかった。霧のようだった雨は知らないあいだにしっかりとした雨に変わっていた。ゆっくりと時間をかけて色んなものをぬらしてゆく雨の音がした。それは知らない生き物の鳴き声のようにふるえ、暗くひろがる空と街のどこかずっと底のほうからきこえてくるようだった。

ヘヴン

冒頭の文は今回レビューする「ヘブン」からの引用です。

作者の川上未映子さんは「乳と卵」で芥川賞を受賞した方で、僕はこの人が持つ日本語のリズムがとても好きなのです。
とりわけ季節に関する描写が秀逸で、同じ人間でも中に持っている感度によってはこんな感じ方をすることが出来るのかと、四季を感じることが好きな僕に新たな季節の捕らえ方を染み込ませてくれるような思いがしています。

この人のブログ(純粋悲性批判)は本当に圧倒的といった感じで、一体そんな言語感覚持ったままよく義務教育だの社会生活だのおくってこれたなぁ、と思うほどなのです。

知人以外で初めて「言葉」に惚れました。言葉に惚れた知人の女の子は行間にありえないほどの気持ちを詰め込む人ですが、川上未映子さんは言葉をぎっしりつめこんでぶん投げてきて、かいくぐったとおもってもまだ言葉をぶん投げてくるような、そんな人です。

さて、本書は、斜視が理由でいじめられている"僕"と、ある日突然に手紙を寄こしてきた同級生の女の子・コジマの心の交流を描いた物語です。

コジマは父親との思い出の「しるし」としてあえて薄汚い恰好をしているせいで"僕"と同じようにいじめられているのですが、コジマは"僕"の事を「しるし」を持つことによって理不尽な暴力に晒されている「仲間」だと言います。
コジマと手紙のやり取りをしたりたまに秘密の場所で会ってお互いのことを話すうちに、"僕"はコジマからもらった手紙に光のようなものを感じるようになり、そしてコジマに会いたいという思いが溢れていきます。

コジマは「仲間」を見つけたことで、いじめられること、いきていること、やりかえさないこと、そんな全てに意味があるのだと「仲間」に強く語っていくようになります。「彼ら」にはいじめることで生まれる"僕"らの思いなんて理解できない。それをわかっている"僕"らが、弱くて、でも本当は一番強いんだ、と。

全てに意味を見つけて強くなるコジマを見ていて、なんだか少し遠くに行ったような気がする"僕"。

ところが、「しるし」であるはずの斜視が手術によって治るということを"僕"は知ってしまいます。コジマは僕が「しるし」を失うことに強く反対し、"僕"は悩むことになります。

本書が面白いかどうかと問われると、ぜんぜん他人に勧められるものではありません。

グロすぎるいじめの描写や、僕とコジマの少し湿っぽい心の交流など決して娯楽作品として喜んで読むようなものではないと思います。

ただ、、全てに意味を見出すコジマと、そして全てに意味を見出さない百瀬といういじめ側の人間それぞれの理屈は大いに考えるところがあります。

僕はブログを読んで、川上未映子さんの文章を味わってみたい、と思って本書を手に取りました。川上未映子さんのブログを何個か読んでいただければわかるかと思いますが、この人はとても独特な言葉のリズムを持っています。また、冒頭で挙げたような(少なくとも僕にとっては)飛びぬけた表現力もあります。
でも、そんな言葉のリズムも表現もブログという短文かつ自分だけを描写する場だからこそ出来るものであって、他者の心情を描写する小説という舞台では発揮されないのではないかとも思っていました。(結果的に、本書は終始"僕"の独り語りなので「他者の心情を描写」はしていないのですけどね。)

読み終わってみるとブログとは違った側面で、言語感覚というよりも小説家としての技術の部分で川上未映子さんの凄さをいくつか思い知りました。
いじめられることの意味を自分の言葉で話し続けるコジマのちょっと回りくどい言い回し、そしてコジマにとって大事なこと―なぜ大事なのか"僕"にはわからないけど―を2回繰り返す癖、「うれぱみん」だとか「~なのです」といったちょっと演技がかったような少女独特の浮遊している言語感覚。
コジマの「髪が固くて多い」だとか「鼻の下に産毛が生えていて常に少し黒い」というような決して美人ではないという描写・設定。――もしこの物語を男が描いた時、いじめられている僕を救う光であるコジマは、外見が優れてるという設定になるに違いありません。そしてコジマではなく小島であるはずです。
また、(これは計算してやっているのか微妙ですが)百瀬とのやり取りの中にある、小説に関するやりとり。紙の向こうで"僕"がうけている屈辱的ないじめが紙のこっち側から眺めているだけの僕にも届くような、反論したくても出来ない悔しさを共有させているかのようです。

そしてクライマックスの最中、"僕"の中で渦巻くコジマと百瀬が言う"意味"という言葉のイミ。

でもやはり"僕"の心情が強まる部分やコジマが熱く語るシーンでは川上未映子さんの持つ言葉のリズムが溢れていて、鍵カッコにはさまれて文字が詰まりすぎているようなページでも波にのせられるように自分も揺れながら読み進めることが出来、小説という舞台でも川上未映子さんの言葉の力は失われずに融合されていると感じました。

小説を海に例えれば、現実離れした大がかりな設定の小説は荒れ海をどう乗り切るか、打ち克つかを楽しむもので、日常の中でささやかな心の動きや人間の距離を描写した小説は静かな海を眺めて、その中に美しさを見出すものです。川上未映子さんの言語感覚はそんな平凡な海でも時たま心電図が脈打つような波が来て、美しさを見出すための勢いを与えてくれています。

ただし、小説に融合させてはいるけど、やっぱり小説はホームグラウンドではない、といったところではあります。そもそもブログの文に惚れたなら、随筆集とか出してるんだからそっち読めって話ですが。。でも図書館に随筆集なんてないよなぁ。

あと、これぞどうでも良い事なのですが、入れ込んでしまった作品のレビューをする時、油断するとどうしても秒速5センチメートルのレビューのときのような文体になってしまう。才能ない人間なりに、一応なんだか自分の言葉の整理方法を一個見つけたみたいで、うれしくもあり、でももうそういうレビューは書かんようにしなきゃな、などと思ったり。思わなかったり。

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ネットでの投稿は匿名・HN・実名?

mixiのニュース記事を読んでて違和感を感じた

一応mixiをやってまして、最近は言いたいことはこのブログで書けるもんで更新もせずに徐々に過去の日記やらも消しております。もはや直接連絡を取らない友人の近況を知るということ以外に利用用途はなさそうです。

最近、mixiでとても気になったことがあります。
病院の近くから携帯で動けなくなったことを連絡したものの、警備員に発見された時には死亡していた千葉の18歳少年の事件のニュース日記です。
ニュース日記というのはmixiが公式で出しているニュースを元に各ユーザが日記を書くという機能で、ニュース記事の下にそのニュースを元に書かれた日記一覧が出て読むことが出来るものです。
だいたい、殺人事件などの記事には「とても悲しい事です。ご冥福をお祈りします」という日記(そもそもご冥福を祈る事を公に公開する神経がわかりませんが。)が大半です。

一方千葉の少年のニュース日記はなぜか高校の同級生だとか友達だとか、そういう関係性は明示していなくとも被害者のことをあだ名や下の名前で呼びかけるように無念を述べる記事が異常に多い。
その事件のニュース日記が200ほどあるのに対してそういう現実で被害者のことを知っている記事がざっと30~40くらいはあったように感じます。

僕はニュース日記みたいなのを好んで読んでるのであれ?と感じたのですが、これは他の事件に比べて圧倒的に多いです。

本当に現実に付き合いがあったとして、わざわざその日記を関係のない人にまで公開できる形で書くというのはどういう神経なんだろう。
というか、実は僕はあの日記群の中に本当は付き合いがないのに、あたかも付き合いがあるかのように書いている人がいるのでは?と思っています。でも何のために?広告したい業者さんでしょうか。
あるいは、日記で「自分は被害者が亡くなった事を無念に思っている」事をアピールする必要がある人達が混ざっているのでは。
それとも18歳の少年の同級生くらいの人たちのネットリテラシーみたいなものは、あんな感じでネットと現実の区別がついていない、つけていない人が多いかな、とも思います。

mixiは個人的な日記を書く場であって、自分の行動履歴や生活圏、趣味嗜好まで他人に知れ渡るような内容になるものです。それが他人に知られることの脅威を解っていない人が多い気がするのです。

匿名論争

たまにネットで話題になる匿名論争について触れます。
要約すると実名でネットにブログやらを書いてる人が匿名の人に対して「卑怯だー」といって言い合いが始まる論争なのですが、僕が一番すとんと腑に落ちるのはこの解釈です。

304 Not Modified-実名・匿名論争が論じるべきテーマはたった一つ
実名でやっていることの最大のメリットは、今まで自分のやってきたことがすべて繋がることでしょう。自分、過去の自分、今属している組織、過去に属してきた組織。そこからひょんな出会いがあったり、仕事に繋がったり。実名でなければ、過去と今を繋げることができないですからね。

匿名でやっていることの最大のメリットは、匿名でやっていることを実名の自分との繋がりを切り離すことができることでしょう。別に、実名の自分と繋がると良くないことをやしているからではありません(それが目的の人もいるかもしれませんが)。もし、何か失敗を起こしてしまったときに会社に迷惑をかけないためです。

私は「まなめ」という固定HN(コテハン)を使っている。HNを固定することで、そのHNを使っている間の言動を繋げることができる。一回きりの捨てハンを使う人は、すべての繋がりを捨てて、その発言をそこに残すことが目的なのでしょう。

ハンドルネームの利点は大きい。繋がりを自分でコントロールできることだ

つまりネット上で実名を使うか否かというのは、現実の自分とネット上の自分を(良い点も悪い点も相互還元出来るように)繋ぐか否かという問題なのです。
さらに、ネットにはHNというのもあって現実とは繋げないけれど、ネット上では一貫した人格として繋ぐこともできるという事です。よってネットを使う人間にとって"何を繋ぐか"という問いに対して以下の3つの解があることになります。
・現実―ネット(実名ブログ)
・現実|ネット―ネット(HNを利用)
・現実|ネット|ネット(匿名、名無し)
切り離されているポイント同士はお互いに知名度も悪評もパブリックイメージも影響を与えない関係となっているのです。

匿名で書くことは無責任である、とよく言われます。実際匿名で書いた内容についてはその場で垂れ流すだけであって書いた本人も未来永劫責任は取りませんが、一方でそれがどれほど優れたたれ流しであっても現実の人格には還元されないのだから、それ相応のリスクはあるわけで、匿名が悪いとはやはり言えないと思います。
それに全ての人に実名を強いてしまうと「現実での権威がリセットされる」というインターネットの重要な要素がなくなってしまうはずです。

僕はこうしてHNでブログを書いていますが、それは現実でなかなか口にできない恥ずかしいことを書いたりできるし、ましてやそんな恥ずかしい内容を誰かに見られて現実の在日コリアンの僕と結び付けられて嗤われたりされたら・・・考えるだけでもこわいこわい。

実名でブログを書いたりするような人は、ネット上の自分と現実の自分に乖離がないような、それこそ裏表のない人格を持った人か、あるいはネット上での自分をマネジメントしていて現実の自分に還元されたくないようなことは書かないようにして、ネットで得られる称賛・名声・知名度を現実の自分に還元することによって得られるメリットを十分に認識・計算してネットをそのために利用しようという打算があるべきです。逆にそこを意識せずに実名で書いている人はネットのデメリットに飲まれるだけの大変危機管理の甘い人だと思うのです。

そうして考えるとSNSというのはとても曖昧で危険な空間です。
プロフィール欄には本当のことを書くように公式で勧めている上に、日記も基本的には公開なわけで、ネット上の自分と現実の自分を繋いでしまうことの危険さを理解しないままに繋いでしまっている人がとても多いように感じます。
あったことがない人の死に対して弔いの意をわざわざ公開で示したり、友人が亡くなった無念を現実の自分ひとりで噛みしめることなく垂れ流したりといった姿から、軽率に繋いでるように感じるのです。

僕はたぶんこのブログで実名を公表することなんかないし、この記事がボロクソいわれようが褒められようが、あくまでもこのHNの中でその評価を受け取るだろうな、と思います。そういうネットにおける自分のマネジメント方法みたいなものを若い人たちに教えておかないとネットはどんどん愚の集まりになってしまうのではと思うのです。
そしてそんな馬鹿なユーザのために余計なセキュリティかけたりサービス作るなんて、とても下らない事だと思うのです。

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過去記事一覧

ココログのバックナンバー機能がわかりにくいので自分でバックナンバーをまとめておきました。自分でも何かいたかわかんなくなってるし。

■お笑い →一応メインコンテンツです

 技術論  →一般的に使える笑いの技術です
  笑いの分析⑬~自虐~
  笑いの分析⑫~すべり笑い~
  笑いの分析⑪~話がつまらない人2~
  笑いの分析⑨~くりぃむしちゅーから学ぶうける人の特徴~
  笑いの分析⑩~松本人志の面白さⅠ面白いやつはよくわらう~ 
  笑いの分析⑦~前フリとオチ~
  笑いの分析6~話がつまらない人の特徴~ 
  笑いの分析3~コント~
  笑いの研究2~自分の笑いのとり方を分析~
  笑いの研究1~緊張と緩和、ときどき常識~

 芸人の話  →特定の芸人さんに限定した話です
  お笑い分析5~若林ピンの面白さ(オードリーDVDより)~
  お笑い分析4~サンドウィッチマン~
  笑いの分析⑧~島田伸助~
  磁石が面白い

 M-1  →1年間の笑いの集大成。予想とか分析とかしマス。
  M-1予想③マヂカルラブリー
  M-1予想②ハライチ
  M-1予想①オードリー 

■文化  →こっちもメインコンテンツでございます。

 漫画レビュー  →月30時間位は漫画喫茶にいます。少女漫画も読みます。
  【少女漫画】ハチミツとクローバー(羽海美チカ)
  【漫画】マイガール(佐原ミズ) 未公開
  【少女漫画】僕の初恋をキミに捧ぐ
  【青年漫画】20世紀少年(浦沢直樹)
  【少女マンガ】ちはやふる(末次由紀) 
  【少年漫画】H2(あだち充)
  【青年漫画】3月のライオン(羽海野チカ)
  【少女漫画】君に届け(椎名軽穂)
  【少女漫画】先生!(河原和音)
  【歴史漫画】三国志(横山光輝)
  ぼくらの(鬼頭莫宏) 
  サトラレ(佐藤マコト)

 小説レビュー・作家分析  →どちらかというと作家さんの文体とかの分析に重点置いてます。
  症例A 
  伊坂幸太郎と重松清 
  【エッセイ】のはなし(伊集院光)
  その時までサヨナラ(山田悠介)
  水滸伝(北方謙三)

 映画レビュー  →邦画しかみません
  
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を見てきた。
  【映画】サマーウォーズ 
  【映画】BALLAD 名もなき恋のうた
  秒速5センチメートル

 方法論・技術論  →「文化」カテゴリ関連で考えすぎなクソ記事達
  松本人志のお笑い映画は日本では成功しない
  セカイ系の分析③ "『世界の危機』の難しさ"
  セカイ系の分析② "世界の危機という装置"
  セカイ系の分析① "エヴァを中心だとすると"

■在日コリアン  →サブコンテンツ・・・なのにアクセスは一番多い。釣針ではないニダ!<丶`∀´>
  外国人参政権なんていらない 
  まず「在日 コピペ」で検索をしてみる
  差別の話
  在日コリアン視点で見る椿姫彩菜 
  検索ワード「在日コリアン ブログ」

■諸諸  →その他いろんなお話です
 考えた事  →一応真面目に考えた事です。
    ネットでの投稿は匿名・HN・実名?
  勉強の話
  「勉強が出来る」事の価値
  差別の話
  心と体
  "stay hungry, stay foolish"
  最後は笑いに変えるから

 興味  →興味が沸いたら調べる・やってみる・確かめる!
  ミームってなんだ?
  ココログのアクセス解析機能

感情的文章  →素人のブログらしい駄文です。
  物語は進まないけどただ文章を書きたくてしょうがない
  心が動いた日の事は書いておきたい
  言葉
  健康診断にはじめてひっかかった。
  言葉の重み

 正真正銘駄文 →看板に偽りなし。たぶんいつかイライラしてるときに削除するw
  美容院の話
  議論すら成立させずに勝利をつかみ取る単語
  もし子供が生まれたら②
  男性誌が足りない気がする
  もし子供が生まれたら
  残業自慢

 よそ様の楽しげなこと  →他のサイトの紹介や余所様の企画にのっかった記事
  爆発音がした」
  20分間耐久速記

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差別の話

まず「在日 コピペ」で検索をしてみるという記事に僕の差別体験に関するコメントをいただきました。

コメントを下さった方への返信を書いてみたものの、コメント欄では書き切れなかったり誤解だけが残りそうだったりという不安があったのでこうして記事として書かせていただきたいと思います。それに質問の文章からまっすぐな気持ちを感じたので出来る限り誠実に返信をさせていただきたいと思いました。

僕の周りで実際に差別を受けたような体験で言えば僕自身の体験だけでも、小学生低学年のころ電車の中でカバンに思いっきり体重を乗せられて倒されて、サラリーマン風のおじ様に「朝鮮人のガキが、邪魔なんだよ」といわれたり、部活の試合に行ったら、試合前に対戦相手から「お前朝鮮人なんか」と言われてあざ笑うかのような笑顔を向けられたり、といった感じです。

もう少し大人になってからでいうと、社会人になるにあたって都内のアパートを借りようと賃貸の仲介業者に行ったものの、契約完了直前で「すみません、大家さんに確認したところ外人さんはちょっと・・・」と言われて3件断られました。当然の話ですが、社会人ですので定期収入はありますし、保証人もいました。

大学入学時に生協でも同じような目に会い、母親と悔しさをかみ殺しながらいろんな大家さんに電話したものです。いざ、入居がOKとなった大家さんにもしつこいほどに「うちはね、外国人でもぜんぜん気にしないから!本当にぜんぜん気にしないから!」・・・いわれるほどに「外国人であること」が賃貸にとても関係するんだよ、と言われているようでした。

あとはmixiとかで定期的に下劣な言葉が並べられた言葉が書かれたメッセージが送られてくるくらいでしょうか。

直接的に「差別を受けた」と言えるのはこれくらいです。

僕は男なのでこんなもんですが、朝鮮学校の同級生の女の子たちはもっと色々とされていました。

なので「今も差別はあるのか?」という質問に対しては「ある」と答えざるをえません。

ここからは僕が思う差別に関する話をさせていただきます。

日本と言う国は本当に良い国だと僕は思っています。大人になるにしたがって、多くの日本人が在日コリアンという存在に対して「言ってはいけない言葉」を理解してくれていて、直接暴言を吐いたりする人はいません。たとえそういう暴言を吐く人がいても恐らく多くの日本人が、暴言を吐いた人を非難して在日コリアンをかばってくれると思います。日本社会というのは本当に立派なものです。

僕の親の世代では、正直に言って言葉の暴力や肉体的暴力など、あからさまな差別を受けた体験を持つ人は多くいます。でも、僕(1980年代後半生まれ)の世代以降でそのようなあからさまな差別を受ける回数は絶対的に減ったようです。

だから、たとえば僕に差別的発言をしたサラリーマン等を「一部の心無い人」と切り捨ててしまって「実質的には差別はない」と言ってしまうことは簡単です。

でも、出来ることならば「何が差別なのか」ということを考えていただけるととてもうれしく思います。

例えば僕は大学入学時と社会人になるときに上記のような「入居差別」を受けています。

しかし、自分が大家さんだったとして考えてみると、同じ賃料で同じ年収の人がいたとして日本国籍の人と外国籍の人、どちらに家を貸したいか考えてみれば、当然日本人になるわけです。

だから「外国籍に貸すくらいなら日本国籍に貸したい」という判断で僕の入居を断った大家さんがいたとしたらそれを「差別」とは言えないかもしれません。

でも僕はあえてそれを無知による「差別」だと考えています。

なぜならあの入居拒否した大家さんたちは在日コリアンのこと、在日コリアンがもつ「特別永住権」という権利の意味を知らずに、「外国籍」としてひとくくりにされてしまっているのではないか、と思うからです。

「特別永住権」を持っている在日コリアンが一般的な外国人のように国外逃亡する可能性は0%です。だから、本来賃貸に当たっては日本国籍の人と「特別永住権」保持者の「賃料を踏み倒される」リスクは同等なはずで、だから在日コリアンという理由だけで入居を断るのは「差別」だと思います。

つまり、在日コリアンに対する扱いは言葉や肉体的暴力による差別は無くなっても、無知による差別は残っていると思うのです。

―いやいや、なんでおれら日本人がお前ら在日コリアンのことなんか知ってなきゃいけないの?

まさにそのとおりで、日本人が在日コリアンのひとつひとつの権利なんか知る必要ないわけで(もちろん知っておいてくれる方が互いにとってよいと思いますが。)、在日コリアンがもっと説明しなきゃいけない、ってのもあります。まぁ賃貸に関しては大家さんと会話するのは仲介業者の方なので僕がどれだけ熱弁を奮うつもりでも大家さんと直接会話する機会はないのですが。。

例えば、道端で点字ブロックの上を棒でなぞりながら歩いている方を見かけたとき、日本では視覚障害者の方であることを周りが理解して、例え通勤ラッシュの時でもみんなが道を空けてくれます。それは日本社会で視覚障害への理解が十分に進んでいて社会が成熟しているからです。

例えば視覚障害自体に関する知識が日本人になければ、人があふれる道で棒を振り回しながら歩いている人を見て「迷惑な人だ」となるでしょう。当然、「邪魔だ、どけ」などと「差別的発言」をする人もいるはずです。

このように、「無知であることが差別につながる」ことがあるということを知ってもらいたいのです。肉体的暴力を与えたりという1段階目の差別(例えば一昔前に精神病患者が幽閉・虐待されてしまったように)が無くなっても2段階目の無知による差別までを解決しなければ本当の解決とは言えないと思うのです。

説明がわかりづらくなってしまうので「差別」という言葉で統一しましたが「無知であること」の責任がどこにあるなか、というと教育だと思うので「無知による差別」をしてしまった人個々人を糾弾しても仕方がないという思いもあります。

僕は無知であることを「差別だ!」と騒ぎ立てたいのではなく「だから知ってください!」と言うことを訴えたいのですが、・・・この記事でうまく伝わると良いのですが。。。

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物語は進まないけどただ文章を書きたくてしょうがない

最早恥ずかしいなどと思うこともないほどに日々小説を書いているのです。

考えてみると小学生のころとかに「将来何になりたいの?」と聞かれたときに、聞いてきた大人が「賢さ」を求めているようなら「会計士」と答え「子供っぽさ」を求めているときは「作家」と答えてきた。どっちにしろ賢くもなけりゃ子供っぽくもないけど。

相手に合わせて適当に答えただけでまさか自分が本当に作家的な職業を半ば本気で目指しだすとは思わなかった。確か高校生ときくらいの時にはすでにいつか書きたい、といった事は考えていた。今、20台の半ばが近づく中で自分の人生を逆算してみて、そろそろタイムリミットが来てるんじゃないか?という気がしている。

大検をとってセンター受けて国立いって、それなりの会社に就職、という無難かつ堅実な自分の人生を思ったとき、結局このまま一度も勝負せずに年老いたら、たぶん自分の人生を生きたとはいえないのではないか。そんな思いが最近止まない。

サラリーマンになって、これまでの人生でもっとも切実に堅実であることの価値を感じるし尊敬するけど、それと同時にやっぱり自分の居場所はここじゃない気がして仕方ない。一番恐れていることは他人に対して自分を曲げることを安易に受け入れてしまっていることだ。誰にも何でも負けたくなかったから死ぬ気でやれてたことばかりだったのに最近は負けの味を和らげるための笑顔に慣れた。このまま気持ちだけ負けてないって事にして笑顔で包んでっていいのかい?勝負事で妥協できないせいで失敗したこともあるけどそれをなくしちゃだめじゃない。にげちゃだめだにげちゃだめだにげちゃだめかにげたらコスタリカ?

ほら、あの暑苦しい体育館で16-19からサーブ権が来てさ。そこまで徹底してバックハンドで返せる下回転と斜め回転で攻め立てて、観客は皆敵を応援してる中で静かに一息ついてさ。フォアにきれないロングサーブ決めた瞬間の沈黙とか、一人一人の顔とか、そういう空気がなくなった後に焼きあがるような一瞬に下劣な笑顔で顔を嘗め回すのがだいすきだったじゃない。そういうのいつまでも吐きつくすまで出し尽くしたいのですわ。

春風みたいな強い風が吹いて、次に新聞屋の音がしたときにはもう凍てつくような寒さで厚着しすぎて汗ばんで耳だけ痛い季節が来てやっぱり今年も風邪を引いて逃げたのか逃がされたのかわからないけどいつまでもエンディングテーマだけ流れてて、メールの着信音に期待させられてもやっぱり追いつけないよ。

今日も右手で勢いだけで人を殺したけど殺したことで悲しむ人がいて喜ぶ人がいて物語が転ぶならそれでもいいと思うし物語を転ばさなくてもよけりゃあ殺さないわけで後になって後悔したって、後戻りをすることは生み出すよりも辛いことだから粛々と受け入れてまた明日になれば全部忘れて恋でもしてんのかってくらい甘ったるいソースぶっかけたような糸を繋げるはずですよ。

今こうして自分の中でメモリをなかったことにして出てきたものをそのまんま曝け出してみればむしゃくしゃしてどうにもならなくて「相談していい」だなんてメールにやけにのどが渇いて笑顔の作り方を覚えたころと同じだって事がわかってちょっと安心するし時間はぜんぜん進んでないや。

誰よりも周りの目を気にして誰かが喜ぶかを見るのが好きだから、無視して無理して笑ってたってそれを誰かに指摘されたりなんか嫌だし自分が選んだことなんだから優しい誘い文句に乗って痛みがないほうへ流れていくようにはなってはいけないですよ。ブログってこういうもんだと思うし申し訳なさもあるけどこういう痛さも残しておく、残しておくというより捨てておくだけ。違法投棄だからあとで見つかって罰を受けるかも知れんけど捨てないで部屋に積んでおくと狭くなっちゃうし引っ越すとき大変だから捨てられるときに捨てとかなきゃ。見つかるかどうかは運次第なわけで見つけても通報しないでくれるやさしい人が多いほうがたぶん人生は楽しいはず。

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「爆発音がした」

会社からの連絡次第では出勤しなくてはならないという最悪の休日ながら、なんとか出勤を免れてネットサーフィンに浸っていると面白い物を見つけた。

「爆発音がした」まとめ(http://anond.hatelabo.jp/20080506041614

「爆発音がした」という文章を特定の作家や場面、マンガだとどう表現されるかという言葉遊び。といわれてもイマイチわからないと思うけど、読めば納得するはず。

小説

「後ろで大きな爆発音がした。俺は驚いて振り返った。」

ケータイ小説

「ドカーン!俺は振り返った。」

ライトノベル

「背後から強烈な爆発音がしたので、俺はまためんどうなことになったなぁ、とかそういや昼飯も食っていないなぁとか色々な思いを巡らせつつも振り返ることにしたのである。」

石田衣良

「ふー、びっくりした」

サイレントマジョリティーを考慮に入れて振り返るかどうか決めさせていただきます

>

北方謙三

「不意に、背後から、爆音が轟いた。俺はまだ、死んでいない。足を懸命に、動かした。天地が、ひっくり返った。何も、聞こえなくなった。」

「後ろ。爆発。振り返った。風。」

「後ろで、大きな、爆発音が、した。

振り返る。

刃が、せまって、いた。皮膚が、粟立つ」

「音。振り返る。爆発。今ではそう、思い定めている。

そんなことより、童貞ども、ソープに行け。」

司馬遼太郎

「(爆発--)

であった。

余談だが、日本に初めて兵器としての火薬がもたらされたのは元寇の頃である…」

山田悠介

「後ろからの爆発音がした。俺は驚きながら爆発音に振り返った。それは、結局爆発音だった。」

「"ドカーン"遥か後ろで不意に爆発音がした。俺は後ろを振り返った。別にどうでもよいが…」

冨樫義博

「作者の急病のため、今週の爆発はお休みです。」

「後方で爆発したという認識は概ね正しい。誤算があるとすれば・・・・」

スイーツ(笑)

「後ろで大きな爆発音がしました。その時私は隠れ家的お店にいました。

頑張った自分へのご褒美です。女性の鬱にも勝てますよ。

若い女性に人気な高級ブランドショップ自分磨きを与えます。

自立した大人の女性です。ワーキングビューティーとも書きます。

なので私は振り返りました。」

姜尚中

「いいですか、村田さん。あなたはね、簡単にね、爆発とね、言いますけどね。これはね、ただの爆発じゃないんですよ。グローバル化した、アメリカ中心の、国際社会の中で、…違いますよ。最後までちゃんと聞きなさいよ。誰もそんなこと言ってないよ。」

古舘伊知郎

「仮に爆発があったとしても、何がいけないんですかねぇ?」

「いま何やら爆発音がしたようですね。ちょっと心配です。ではお天気いきましょう!市川さん!」

世界まる見え!テレビ特捜部

「世界にはさらに驚くべき爆発があった!」

「っと、その時後ろで爆発音が。ボブが振り返ったそこには!

・・・

3ヵ月後、そこには元気に走り回るボブの姿が!」

「もう僕二度と爆発なんてしないよ!」

いやー、自分が知っているものとかだと思わずにやっとしちゃう秀逸なものが多いですな。

北方謙三とか個人的にはたまらないですw

ココログhtmlいじれるのはいいけどどっからかコピペしてきたときにhtmlそのまま持ってくるのがめんどいなぁ。

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外国人参政権なんていらない

どうも。「在日関連の記事でアクセスアップ大作戦」を絶賛実行中です。うそです。googleのクローラーさんが拾いに来れたあと様子を見て結果報告してみたいと思います。
さて、せっかくなのでもうひと記事。こっちはまともに書くのでたぶん削除しません。
 
外国人参政権をご存知でしょうか。ネトウヨには有名な話ですが、一般の方はご存知ないかもしれません。公平性を保つため、外国人参政権に反対しているらしきサイトからその説明を持ってきました。(外国人参政権に反対する会・全国協議会 公式サイト :http://www.geocities.jp/sanseiken_hantai/
(以下引用)
【外国人参政権って何なの?】
 
参政権とは、国民が政治に参加する権利のことです。
 
具体的には、
 
・選挙権 (選挙に投票する権利)
・被選挙権 (選挙に立候補する権利)
 
の2つが含まれます。
 
なお、
参政権は人権の1つではありますが、あくまで国家の存在を前提とした後国家的
権利であり、基本的人権のように万人に生まれながらに保障されるべき権利とは
異なります。
 
また、広い意味では、上2つの他に、「公務員になる権利」、「公務員を罷免する権利」などを含む
こともあります。 
 
 
外国人参政権法案とは、これらの権利を、日本人と同等に外国人に与えようとする法案のことです。 
(引用終わり)
こんな感じです。
さて、この外国人参政権に関する問題点だとか法律的な問題は上記サイトをみていただければ問題ないかと思います。
なので僕は法律的にどうとか、そういう話ではなく根本的な問題について書きます。
日本において外国人参政権の問題が複雑になってしまうのは、特別永住権を持つ在日コリアンがいるからだと思います。長く日本に住み、日本社会のなかに浸透しているのだから地方参政権を取得して地域の政治に参与してもいいのではないか、というような話です。
僕は在日コリアンは最終的には日本国籍を取得するべきだと考えていて、参政権を与えられてしまったら在日コリアンの問題がさらに深刻化するだけだと思っています。
そもそも特別永住権という立場が作られて、今なお続いているのは戦後の「朝鮮半島には帰るつもりだが今はさまざまな事情(朝鮮半島の混乱、日本からの財産持ち出し制限など)で朝鮮半島に帰ることができない」という状態が生み出したものです。
しかし、現在多くの在日コリアンに朝鮮半島への帰国意思はなく生涯を日本で過ごす意思を持って過ごしています。祖国への帰属意思もないのだから日本国籍を持ち、日本の政治や社会に参与するということが当然の流れです。
でも今僕自身が帰化をしていないように、相変わらず数十万人の在日コリアンが日本国籍を取得せずに朝鮮籍or韓国籍を持ったまま過ごしています。
僕自身日本国籍を今すぐとろうとは思っていません。それは、自分が在日コリアンであるという意識を強く持っているからです。果たして、この心の葛藤を理解してくださる方がどれくらいいるかわかりませんが、「日本人ではない」のです。もっとわかりやすくいえば日本人扱いされると「自分の人生を無かったものにされる」という印象を受けます。それはもちろん自分の父母や祖父母の存在を否定されることを意味します。
僕は今日まで本名(朝鮮式の名前)で過ごしてきて、その名前を呼ばれて過ごしました。そして同じように在日コリアンである友達と過ごし、在日コリアンである自分を認めてくれている日本人の友人と出会ってきました。守りたいのはそこです。
日本国籍を取得してもいろいろと無理をすれば今の名前と同じ読み方のままでいることも可能です。でも間違いなく「日本人なのになんでそんな名前なの?」と言われる。
これらの根源は、日本の一般的認識として、日本という国は単一民族だと共通認識があるからです。
これは批判しているわけではありません。そもそも島国で外国人との交流も少なく、その歴史のほとんどをほぼ単一のように過ごしてきた国ですからこれは仕方がないことです。
でももう今の日本には数百万人の外国人がいて、少なくとも50万を超える人間が日本の永住権を持ち過ごしているのです。ならばもう日本という国は多民族国家であることを認めるしかないはずです。
(すみません。この話長くなり過ぎそうだから別に記事を書きます。)
 
結局何が言いたいのかというと、外国人参政権を与えることで在日コリアンに韓国or朝鮮籍のままでいられる状況を作ってしまうことは、在日コリアンが曖昧な立場でいることを許容してしまうということです。そして、日本という国が多民族国家としての包容力を持つことを阻害することにもなるのです。
そうなれば、在日コリアンも今のように年1万人が帰化をしながら緩やかに減少していき、この国に朝鮮半島由来の人間がいたのかどうかも曖昧なまま消滅してしまいます。
そうならないように在日コリアン自身の努力が必要です。
そして日本も同じように。

僕が日本を大好きなので言わせともらいますが、グローバル化が叫ばれる世界の中で、その流れにのろうという中で、日本が初めて受け入れることになった"外国人"である在日コリアンを結局は受け入れられずに、曖昧なままその存在をなかった事にしてしまって日本という国はそれでいいんですか?この先の日本にとってそれがよいことなのですか?と思うのです。


 

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