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伊坂幸太郎と重松清

最近伊坂幸太郎と重松清の小説を立て続けに読む機会があり、好対照で面白かったので覚書的にお二人の文章について自分なりの解釈をしておきたいと思います。

まず伊坂幸太郎について。
僕がこれまでに読んだ事があるのは「アヒルと鴨のコインロッカー」「陽気なギャングが地球を回す」「死神の精度」「重力ピエロ」の4つです。
いくつか読んで見た結論としては、彼は赤川次郎の系譜にいるということです。
彼の物語の特徴としては、登場人物の圧倒的な魅力、感傷的な心象描写の排除、程よい伏線のバラマキと回収、余韻が残らないスッキリとした読後感といったところでしょうか。
この辺は赤川次郎とほぼ同じで、赤川次郎の場合伏線の回収が強引な場合がありますが(何でも赤川次郎は結末を考えずに色んななぞをまず書いてしまって後からその解決を必死に考えるらしい)、伊坂幸太郎の場合は何度も推敲をするらしく、きれいに謎解きするようになっています。

かれの物語の登場人物はともかく魅力的な人物に溢れています。
どこかクセがあり、こんなやつ周りにいたら面白いな、と思わせるようなそんな個性的な人物が多くいます。
一方で登場人部の独り語りによる苦悩などの描写はほとんどなく、心理描写は、思ったこと、考えている事のレベルに留めています。
故に多くの読者は登場人物に自分を投影することなく、彼らの行為や会話を第三者的に除き見て楽しむという立場になります。
つまり伊坂幸太郎の小説は「友達が体験した面白い事件」のようなものであると僕は考えました。
それを可能にしているのはともかく登場人物の個性であるといえると思います。
しかもその個性を会話の中で読者に印象付けることができる技術こそが伊坂幸太郎の優れた点といえるでしょう。
その技術あってこそ、登場人物のことを全ての読者に「自分の友達」であるかのように思わせることが出来るのでしょう。
あの個性的なキャラクターが完全な創作であるのか、それともモデルがいるのかとても気になりました。

次いで重松清についてです。
村上春樹に次いで色んな人にオススメされる頻度が高い作家です。
僕が今回読んだのは「卒業」。

初読破の感想としては、まだ早かったかな、と言ったところです。
ちょっと横道にそれますが、僕は本であれ映画であれ出会うタイミングがとても重要だと思っています。
読む時の自分の状態によっては駄作が名作にもなり得るし、名作が駄作にもなり得ると思うからです。

さて、重松清の作品が全てそうなのか知りませんが「卒業」の大きなテーマは家族と死でした。

伊坂幸太郎を呼んだ直後に重松清を読むと二人の違いが際立ちました。
僕が感じた重松清の特徴は伊佐幸太郎の間反対といったところで、日々の中で悩む平凡な登場人物、感傷的な心象描写、伏線をはるというような発想すらなさそうなストレートなストーリー、余韻が残る読後感といったところでしょうか。
(こう考えるとこの2冊が本棚に並んでおいてあった友人の幅の広さにちょっとびっくり。)

「卒業」に関して言えばその主人公は全員40歳前後の男で家庭をもち仕事をしているという"主人公"とするには難しそうな人々だった。
彼らの家族や友人の死が訪れる中で、家族に対する感謝、恐れ、煩わしさや死に対する捉らえ方などが混ざった独特な心情になっていくところが、醜いところも含めて丁寧に描写されていました。心象描写だけではなく、たとえば表題作「卒業」におけるタバコなどの小物を、物語の支えとして配置する事で情景描写からも、心情を映し出している。
家族に対する思いという意味では最近特別に感謝と、申し訳なさが混じったような思いもあるし心揺さぶられるところがありました。

特別な事件が起こるでもなく、魅力的な登場人物がいるでもない物語でありながら、読者の心の一部に生手で触れてくるような描写力はやはり多くの人が薦めてくるだけのものはあったと思いました。

でも重松清のよさがわかる、というか読んでて苦しくて切なくなるのはもう少し年をとってからじゃないかな、とも感じました。僕の精神年齢が低いだけかもしれないけれど。

以上好対照な二人(そもそも二つしか比較するものがなけりゃあ対照にも見えるだろう、ってつっこみもあるが)についてとりとめもなくまとめて見ました。
どっかで書いた事がある気がするけど、僕の中で表現と言うのは2つの要素があって「受け手を意識したもの」と「発信者が自分の中身を吐き出したもの」という見方ができると思っています。
そういう見方で言うと伊坂幸太郎というのは「受け手を意識したもの」のスペシャリストだと思う。読者をいかに楽しませるか、そのためのあらゆる技術を磨いた人だと思うのです。(そこには「自分が楽しいと思うものを自分で作る」と言う意味で、「読者」の中に伊坂自身も含まれている。)
重松清も「受け手を意識したもの」を書いているとは思うが、彼の作品には彼自身が日々の生活の中で感じた事が多分に入っていると思う。
それは「発信者が自分の中身を吐き出したもの」であり、そして重松清が吐き出したものを多くの読者が同じように心の中に持っているということでしょう。ただ、まだ僕にはそういう思いが降り積もってはいないようでした。

ともかく、2冊続けて良い本にめぐり合わせてもらいました。感謝。

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