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セカイ系の分析① "エヴァを中心だとすると"

セカイ系を読み間違えていたかもしれない。

ふとそんな疑問がわいた。
漫画を読むたびに「あ、この漫画はセカイ系か」と思った瞬間に少し冷めてしまった自分がいたからだ。
原因不明で冷めるのも癪なのでがっつり分析してみた。

セカイ系とはウィキによると

「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的な大問題に直結する作品群のこと」と定義される場合があり

とある。

要するに、本来世界の危機と直結するはずの無い個人の悩みや葛藤がそのまま世界の危機に直結してしまう作品群のことである。
セカイ系という言葉はエヴァ以降に発表された、その影響を受けたと思われる作品群にたいしてよく使われる。

セカイ系と言われる多くの作品で主人公は青年であり、社会を見る力が無く、独り語りが好きで、いわば中2病的に自分に特別な力があると勘違いしていそうなタイプである。そんな勘違い青年による"自分に世界を左右するような力がある"かつ"自分のような深い悩みの中にいる人間がいるだろうか"かつ"かわいい女の子に好かれる"という妄想を形にしてみたのセカイ系と言えると思う。

ところでセカイ系という言葉を見ると、まるで何らかの線引きがあって「この作品はセカイ系だ」と分類できるように見えてしまうがそうではない気がしている。
思春期の妄想という部分ではエヴァがお手本で、あとはその影響を受けたと思われるそれぞれの作品が、妄想を現実に近づけて見たり、テーマを恋愛に特化して見たりという試行錯誤によって成立している。部分的にエヴァと被る部分があったとして、どこまでがセカイ系なのか、という分類は難しい。

ここではセカイ系と呼ばれる作品群がエヴァからどういう遠ざかり方をしたか、について考えてみる。

例えば、「最終兵器彼女」は妄想部分は残しつつテーマだけを恋愛に置き換えたと言える。

もう少し遠ざかると妄想を現実に結びつける努力をしてみた「ぼくらの」。

そして、妄想ですらないように見せかけようと主人公をおっさんにして、かつ世界の危機を人為的なものに置き換えてみた「20世紀少年」。

つまりエヴァっぽさとして挙げられる以下のような特徴からの遠ざかり方によって作品の特徴が変わるわけだ。
①世界の危機が、主人公(世界の危機と戦うほどの能力も資格もないはずの。)に握られている
②思春期の自分の悩みが世界の全てのように見えている。その結果中間項はすっとばされる
③何で世界の危機が訪れているのかの具体的な説明は無い
④最後は精神世界の話になって破綻する

そういう意味で言えば上記の要素を含む作品は全てセカイ系といえるかもしれないが、そもそもこれらの設定はエヴァから始まったものではないし、それを全てエヴァの影響だと言うのは無理がある。

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