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2009年8月

【エッセイ】のはなし(伊集院光)

のはなし

伊集院光のエッセイ本。読者から募集した7文字以内のお題に対して週3ペースで書きメルマガとして発行していた700本の記事から選んだ70本程が収録されている。
"知的なデブ"の書いたエッセイとして読んでも十分に面白く、ラジオリスナーであればなお面白いはずだ。

適当に募集したお題で700本の記事を書く事はクオリティさえ気にしなければ誰にでもできそうだ。しかし伊集院の恐るべきところは、その一本一本にテーマがあり、主張があり、オチまでつけているところだろう。
そして根本的に自分を"だめな人間"だと思っている伊集院だからこその、世界も自分も客観視して眺めることで感じる日常のワンシーンの豊かさ・面白さが十分に堪能できる。

特に伊集院の小さい頃のエピソードは、適度な甘ったるさのノスタルジーが漂っていて世代が違うはずの自分も小さな頃に連れて行かれてしまう。
全体的にラジオにおける特徴である毒舌や話の寄り道は随分少なくなっていて入り口は広いと思うのでどんな人にもオススメできる。

ラジオリスナーにとっては普段ラジオではあまり語らない師匠・楽太郎と奥さんに対する伊集院の気持ちを知ることが出来て楽しいはずだ。最後の「very special thanks」欄にある名前、もし自分が当人だったら泣いちゃうだろうな、と思い読ませてもらった。この本を読めばラジオで聞く奥さんとのエピソードをニヤニヤしながら聞くことが出来るようになるだろう。

この本を読まなくても人生で損をすることはまずない。
しかし、間違いなく1600円の使い道として後悔もしないはず。
なぜなら面白いから。
自分に有益な情報が載ってるだとか、泣きたいだとか、そんな理由をつける必要なんてない。「面白いから面白い」。

ともかく、本屋で一本読んで見てほしい。お勧めは「雪」、「無神論」だ。この2つともう一本適当に開いたところのを読んでみてほしい。

そして読んだらぜひ気に入った一本を教えてほしい。間違いなく僕は
「あー・・!確かにそれも面白かった!!」と言うだろう。

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笑いの分析⑦~前フリとオチ~

笑いの基本は裏切り、と以前書きました。
すべらない話を見たことがある方は分かるかと思いますが、あの番組で芸人さんがしている話を一般人がしても全くうけません。それは、あの話自体が面白いのではなく彼らのテクニックで面白く聞かせているからです。

いくつかる手法の中でも汎用性が高く、代表的な例を解説します。
くりぃむしちゅー有田さんの話で
「有田の父親の葬式に来た上田が、葬式後に出前を取るとき『一個大盛りで』と言った」
という話があります。これだけでは全く面白くありません。

では、なぜこの話がすべらないのか。
実際にその動画を見ればわかりますが、「大盛りで」のオチに向かうために有田は何度も"上田は真面目"というキャラを印象付けようと話の途中で以下のようなフレーズを入れています。

「皆さんご存知の通り・・、上田は司会やったり真面目な人じゃないですか」
(有田の父親の葬儀なのに泣いてくれた上田について)「こいつ、ほんといいやつだなって思いましたよ。」

その結果"上田は真面目で真剣に有田の事を思ってくれてる人"という方向に聴衆の意識を寄せておいて(=即席の常識を作っておいて)、最後の「大盛りで」という不謹慎な一言で一気に裏切っているのです。

すべらない話のことはいずれ書こうと思っているのですが、各プレイヤーが笑いを取るための手法を持っています。中でも松本人志は何種類もの手法を使い分けていて、やはり笑いにかけては松本は化け物だな、と感じます。

上で取り上げた有田の手法は数ある笑いの手法の中でも技術的側面が強い方法です。話のオチさえ決まっているならば、途中からでも無理やり行う事ができます。
ポイントとしては、ミスリードしていく方向は「真面目、硬い、暗い、つらい、怖い」など"笑えない"ようなものにするのが良いです。それによって聞き手は話の終着点をネガティブな方向に予想します。最後のオチでその予想を裏切ることで笑いを生むのです。これは以前書いた緊張と緩和を使った手法です。

笑いはフリと裏切りで発生しますが、このように会話の中でミスリードする手法はもっともオーソドックスで一般的と言えるでしょう。

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笑いの分析6~話がつまらない人の特徴~

「すべらない話」を見てて思うのだけど、世の中「面白い話」がたくさんあるわけじゃなくて「面白い話方」がたくさんあります。

話の仕方というの誰にとっても必要な技術でありながら、中々身につかないものです。

特に「話がつまらない」人と話してるときによく思います。

わが身を振り返りつつ、話が面白くない人の特徴をまとめてみます。

話がつまらない人の特徴

①「この前めちゃくちゃ面白い事あったんだけど」といって話し出す。

これは逆鉄板というやつですね。もうこの言葉をきいただけで(笑うふりしなくちゃなぁ)ってなります。

人はなんでもない話を聞くと思ってるときにそれを裏切られると笑いますが、「面白い話します」と前フリされてしまってはその落差がなくなってしまいます。よく言われ「ハードル」ってやつですね。

しかもこの前フリは"笑わなくちゃいけない"プレッシャーを与えるので、それだけでも十分不快です。

②自分を貶めずに他人を貶める

一エピソード話すときも、ツッコミでも、被せでも他人を馬鹿にしている姿勢の人間はつまらない。

③聞き手と面識がない"面白い友達"の話をする

よっぽど特徴的でない限りこれもつまらないです。笑いは基本的に内輪で生まれるものですから。

④自慢が見え隠れする

お金、異性、仕事、人望などなど、その手の話題になるとなぜか自分の自慢をにおわせようとする人たちがいます。さんまだとか島田伸助ですら自虐で笑いとる必要があるのに、なぜ自分はそうせずとも笑いが取れるとおもえるんでしょうね。「オレは~」が口ぐせ。

⑤自分の話は面白いと思っていてすべったことを認めない

どんな天才であっても100発100中で笑いが取れることはありません。

すべったときにはしそれを笑いに変える必要がありますが、すべったことを認めない人たちは周りもいじれず、気まずい空気をフォローする形で流されます。

⑥前フリが下手

笑える話というのは最後のオチにむかって収束していくものです。そのオチで落差を出すためにはあえてミスリードさせてみたりする必要があるのですが、話がつまらない人はオチを予想させる話をしてしまいます。

⑦構成がへた

オチをわからせるために必要な話以外はすべて無駄です。枝葉の話に時間を費やすのも話が面白くない人の特徴のひとつですね。

以上、意識的に直せるものは少ないですがとりあえず①くらいはやめてほしいものです。

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もし子供が生まれたら②

23歳男子、彼女なし。

土日の予定は散歩、将棋、漫画喫茶、サイクリング。

そんな絵に描いたようなモテない男ですが、自分に子供が生まれたら何ていう名前をつけようと考えるときがあります。中学生の頃漢字を覚えることが好きで、「あ、この漢字子供の名前につけたらよさそう」だなんて考えてました。

ちなみに僕は弟が2人いるので、自分のこどもは女の子だといいな、だなんて考えています。

漢字ではないですが、女の子だったら最後が「イ音」になる名前がいいと思っています。

周りの人から何て呼ばれるか、ってその人の人格形成にすごく影響があると思うんです。

なので名前を呼ばれるたびに、呼んだ人の口が横に開いて笑顔になる、っていうのはすごく良いことじゃないかな、と思います。本人も「お名前は?」と聞かれるたびに笑顔で答えられることですし。

笑顔の人の周りに人は集まるに違いありません。

さて、漢字ですがよくある「美」とか「愛」とかはちょっと気が引けます。単純に、かわいくなかったらなんだか子供に申し訳ないです。

自分の人生のテーマが笑うこと、楽しむことなので子供にもそれに由来した名前をつけたいのですが「楽」も「笑」もちょっと名前としては使いにくいですね。

なんとかうまいことそのニュアンスが入る漢字はないものかと、かれこれ5年はかんがえているのです。なんかないかなぁ。

本題は自分の好きな漢字の話ですが、いざ自分の好きないくつかの漢字を考えてみたらちょっと気恥ずかしくなったので、またの機会に。

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男性誌が足りない気がする

既に23歳になってしまったけど人生はまだまだこれからで、機会があれば起業とかもしてみたい気はしています。
本質的に自分はどこにいってもそれなりのNo.4になる人間だと思ってるので、好きになれるNo.1と出会えればその人を支えた方が成功する可能性はあると思うんですけどね。

もし起業をするならニッチの分野をやる方が面白そう。儲かりそうだし。
でも今や日本で本当意味でのニッチを見つけるのは難しい気がする。それよりもどうやってニッチを作るのか、が大事だと思う。なくても困らないもの、をなくては困るものに変えてしまう力のような。携帯がそうだしSNSもそう。何だかそういう案はないかしら。元手無しで始めるならwebコンテンツだよなぁ。

話はそれるけど個人的に男性ファッション誌って結構まだ空きがある気がします。
コンビニで働いてた頃22日の夜勤というのが1ヶ月で一番のハズレ日だった。なぜかというと女性誌の大量発売日だから。町の小さなコンビニに一晩で250冊近い雑誌が届いてたくらいだもん。女性誌は年齢と服装のタイプと予算の3本の軸で結構読む雑誌が細分化されてるのね。それでもちゃんとあれだけの雑誌が売れている。それに引き替え男性誌は数が少ない。しかも読者層はオシャレに興味がある~オシャレマニアを対象にしている雑誌ばっかで貧乏学生のアタクシにしてみれば白のタンクトップ7,000円ってどこの財閥の御曹司が買うんだよ、って感じでした。世に多くいる「服なんて変じゃなければなんでもいいよ」派と「シャツは3,000円が限度」派のための雑誌をぜひ創刊してほしい。もちろん3,000円のシャツなんて実際に紹介してもしょうがないから季刊くらいで、「変じゃない」コーディネートの例を載せたり、むしろ「残念な」服装を紹介したり低価格帯の服屋を紹介したりって感じで作ればそれなりにうれそうな気はするんだけどなぁ。ユニクロとか無印とかと各地の古着屋がスポンサーになればなんとか・・・ならないか。

そもそも「服なんて変じゃなければなんでもいいよ」派と「シャツは3,000円が限度」派が戦国時代の一条家ばりに弱小勢力だから!って話か(あら、わかりやすい例えツッコミ!)。「夏はジーンズと黒のポロシャツだけで過ごす」派とか「冬は秋の服装の上にコートかぶせるだけ」派とか・・・おれだけなのか?!
でも大学のころよく見かけた「Men's Nonnoを読んで腰にシャツまいてます。」派とか「え?これかまいたちに切り刻まれたわけじゃないっすよ?ダメージジーンズです。かっこいいでしょ?ロックでしょ?」派とかの「それ、かっこいい人がやるからカッコいいんだよ」法案を知らないかわいそうな被害者を出さないためにも、何とか創刊してほしい!
いや、ファッション的には下民にもほどがあるおれなんかにそんなこと言われたくないだろうけど、せっかくファッション雑誌読んでオシャレさんになろうとしてるのに、基本的に何かがずれてる男子って多い気がするんですよ。そんな彼らに基本を教えるような・・。そう、服装のキホンが学べるような本があってもいいんじゃないかしら。ファッションって最早文化だし芸術だから。

絵画にだって、楽器にだって入門書があるようにファッションにも入門書があってもいいんでないかい。

・・・あ、起業の話だっけ?話がそれたまま書くことが尽きてしまった。反省。

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【映画】サマーウォーズ

映画サマーウォーズを見てきたのでそのレビューをいたします。

雑感

・谷村美月の凄さを再度実感できた

エンドロールが流れるまで、もしかして、と思いながら聞いていたが彼女の声の演技は群を抜いている。女性であれほど"強い声"を出せる人は中々いないはず。

3年後にはポスト宮崎あおいとして映画界の若手女優を引っ張る存在になっていてほしいと思う。

・アニメ表現の到達点を見た

エヴァの時も思ったがアニメというのはこんなことまで表現できるようになったか、と思わされた。あれを作ったクリエイターの方々には羨望を覚えるばかりです。

・人間の結びつきの大切さ

おばああちゃんのキャラはとてもよかったし、最後のヒロインの勝負での"人間の力"には鳥肌立ちました。

・それ以外はすべて批判です

これ以降、批判だけになるのでサマーウォーズを面白いと思った方はご遠慮ください。

あらすじ

数学オリンピックの日本代表になり損ねてしまった高校生の主人公は、学校の先輩であるヒロインの少女に頼まめれ「彼氏のフリをして」、彼女の田舎に付き添うことになる。彼女の実家は地方の名家で、厳格なおばあちゃんや親族一同が集まっている。

そしてもうひとつ、この映画の世界には"OZ"と呼ばれる仮想世界が作成されていて、「大統領ののアカウントを盗めば核兵器さえも打てる」ほど実生活に深くむすびついている。

簡単に言うと以前話題になった「セカンドライフ」の超発展版といったものである。

田舎に向かった日の夜、彼の携帯に暗号文が送られてくるのだが、彼はそれを一晩でとき、謎の送信者に返信をする。

その結果、OZの管理システムはクラッキング(≒ハッキング)されてしまい、謎の送信者によって数億人のアカウントが盗まれ、世界は大混乱に陥ってしまう。

謎の送信者は、実はヒロインの叔父が作成したA.Iである。叔父は一族に対して反抗的な態度をとり、おばあちゃんを激昂させた上、A.Iが引き起こした大混乱にも無責任な態度をとる。

しかし、大混乱の影響でおばあちゃんはなくなってしまう。

一方A.Iは暴走を続け、宇宙から世界各地の各施設のいずれかにむけて、無人探査機っぽいのを墜落させようとする。

主人公とヒロインやOZの世界における格闘王のようになっている一族の少年、そしてその他の一族は力をあわせてA.Iを阻止しようとし、何とか核施設への墜落は回避する。しかし、最後に墜落の標的として残ったのは、まさに彼らがいる家であった。

主人公はその頭脳を使って、最後の暗号を解読して墜落を避けようとする。

一観覧者として

・人物描写

A.Iとの戦闘は、格闘王の少年、ヒロイン、主人公という順で行われる。

それぞれにスポットライトがあたり、見事A.Iに勝利していくのだが2時間弱の映画で3人もスポットライトあててるせいで、それぞれの背景が深掘りされてなく、それぞれの戦闘も勝利も非常に淡白になっている。結果、ただただアニメーションすごいなぁ、ってだけの感想になる。

あと、大事なとこで邪魔したりする警官の兄ちゃん。あの人をコミカルに書くつもりならもう少し笑えるシーンをいれてほしかった。あんな大事なシーンであんな事やらかしたときに、笑っていいのかよくわからなかったよ。

・前フリ

何気ない会話の中で、「ん?これ前フリか?」とか「後から何かに関連するんだろうな」っていうシーンや会話があるけど、結局何の前フリにもなってない。

例えば

主人公とヒロインの電車の中での会話。数学に強いことはわかってるし、しかもそれが最後の勝利に結びつくんだから、あの無駄な会話の中に前フリいれればいいのに。

終始一族の少年の一人が甲子園で、投手として戦っているシーンが流れてみんなで応援してるんだけど・・・何の絡みもないじゃん。本当にあれ、なんだったの?あれだけ時間とってるのに・・。

おれが何かを見落としてるんじゃないか?って心配になるくらい無駄な部分です。

ほんとに、なんなのあれ?時間稼ぎ?

・人の死の使い方

話の途中でおばあちゃんがなくなり、それを知ったA.I開発者の叔父が戻ってきて主人公に加勢する。

おばあちゃんの死によって、一族は「弔い合戦だ」といってA.I立ち向かうし、主人公は戦う決心をするんだけど、おばあちゃんの死に一番関連があるのは叔父のはず。

その叔父は、おばあちゃんが死んだことをヒロインの電話で聞いてあっさり帰ってきて味方になるうえ、A.Iとの戦いには全く役に立ってない。

あの人、何のためにこの映画にでてきたの?

おばあちゃん、なんで殺してしまったの?

・大事なセリフ

CMでも流れてる最後の戦闘のクライマックスの「よろしくおねがいします!!」って叫んでエンターキー押すシーンは何なの?そのせりふ、前フリも全くないし、しかもシーンとあってないし。

宣伝の仕方が卑怯

映画やテレビでのサマーウォーズのCMを見て、仮想世界OZの話が大半であることを読み取れた人はおそらくいないんじゃないだろうか。

おそらく、「田舎」「青春」「恋」「夏」らへんのフレーズから来る感動を期待している人は多いのではないだろうか。CMもそういう作り方をしている。

この映画の製作委員会に(セカンドライフをめちゃくちゃ推してた)日テレが絡んでいることから邪推するに、この映画の製作開始のころは、「2009年にはセカンドライフのブームが最高潮だろうな」という期待があったんじゃないだろうか。

そしてそのブームと合わせた形で"仮想世界と現実世界の結びつき"といった切り口で大宣伝をするつもりだったのでは?

ご存知のとおりセカンドライフは全く流行らず、今更その切り口を押しても誰も惹かれない。

なので、上記のような"日本の夏"的フレーズを匂わせて客をよびこもうとした。

まー客が入らなきゃ困るのはわかるし、宣伝マンとしては正しいと思うけどさ、客を騙しちゃだめだって。間違えて見に来ちゃったオシャレなカップルとか家族づれとか、ポカーンしちゃってたよ。

宣伝の仕方

宣伝で流れてる場面、あのCMを見た人が想像するものと全く違う流れの中のものばっか。

ほんっとがっかりするわ。

仕事柄思うこと

OZは世界最高のセキュリティを誇り、2000強の文字数の暗号によってセキュリティが守られているらしい。

どれだけ笑わせてくれるんだろう。2000強ということは2kって事ですよね・・?仕事柄暗号化技術に触れることは多々あるのだが、2Kで守られてるセキュリティってどんだけ脆弱なんだよ。。

でもそれくらいじゃないと、主人公が一晩で暗号を解けるはずもないので、映画の設定としては2000強というのは仕方ないものなんでしょうな。

しかし、2kで守られているセキュリティである以上、"世界最高のセキュリティ"などありえない。でも世界最高のセキュリティじゃなければ"OZ"は成立しないだろうし、主人公が暗号を解くシーンも盛り上がらない。

つまり設定が破綻してるってこと。

仕事柄思うこと②

(これは映画の批判だけではないけど)"OZ"内で行われる戦闘シーンや迫力のシーンをセカンドライフのような仮想世界であると考えたとき、OZの開発者はあのような現実世界と変わらぬ自由度を持った動きができるようプログラミングしとかなきゃいけないんだけど・・・絶対無理だもん。

"インターネッツって何でもできるんでしょう?"といわれてるような、何とも言えぬ不快感ばかりが募りました。

たぶん小学生なら、"インターネッツすげー!!"と興奮できるんだろうけど、仕事柄まったく現実味がなくてのれませんでした。

セカイ系について何本か記事を書いた身として

もう"セカイ系かどうか"みたいな議論は我ながらクドいと思うのでどうでもいいのだけど、この映画も"主人公が世界の危機と戦う"というフレームはセカイ系と同じだ。

で、世界の危機をもたらすのが人が作ったA.Iだという点や、主人公の立ち向かい方が「数学の能力で暗号を解く」というものという点で、"現実に結び付けようとしたセカイ系"の一種と捉らえられる。

でもさ、やっぱり"一個人の力で世界の危機と戦う"っていうのは無理な設定なんだって。だからセカイ系はそういうとこ全部すっ飛ばしてかくんじゃん。

主人公が数学の超天才で、だから暗号が解けた、っていうならまだわかるけど、日本代表なれなかったって言ってる時点でまだ上がいるって事でしょ?

しかも映画の途中で「謎の送信者に暗号を解いて送信してしまった人間は世界に55人いる」とか言っちゃってるし(しかも主人公は最後の一文字をまちがえてしまったので、正確には解いてすらいない)。

もう設定めちゃくちゃじゃん。もう一回最初から会議しなおしてこいよ。

提案だけど、"主人公は数学・暗号解きの超天才だけど、大事なとこでポカしちゃう"ってすればよかったんじゃないの?そうすれば日本代表になれなかったのも、一文字間違えちゃったのも、最終的に世界の命運が彼に託されることにも筋が通るじゃん。

しかもおばあちゃんとの最後の会話とその死によって、ポカしちゃう性格が直ってクライマックスの戦いに挑むって言う流れもできるじゃん。

結び

以上、様々な視点で批判しました。

この映画を楽しんでるのは一体どの層なんでしょうか。

唯一、アニメーターを志す人たちは楽しめるかもしれません。

僕もこの映画のアニメーションにかかわった方だけには「すごい作品でした」って笑顔で言えそうです。

ストーリーは結構王道で感動しないこともなかったですが。。。

・・・これ書いた後「サマーウォーズ レビュー」で検索したら概ね「良かった」って意見でした。うそん。おれがひねくれてるのか・・・。

たぶん、設定の適当さが目に付いて仕方なかったからだろーなー。。

アニメを見る目が足りてないのかしら・・・。

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心と体

本を読みながら歌やラジオを聴き、さらに何かを食べていることがよくありなす。

それでもまだ物足りず、「人間にもう一個外部から情報を入力できる何かがあればいいのに」とよく考えます。

中学生の頃は、漫画をめくる左手とゲームをする右手に加えて、物を食べるためにもうひとつ手がほしい、だなんて考えていました。

でもよく考えてみると、もし自分にもう一本手が生えてきたとして果たしてそれを使いこなせるだろうか?という疑問がわきました。リアルに想像してみると3本目まで気が回らないきがしませんか?

どうやら今の脳みそでは3本目は扱えなさそうです。同じように、上で述べたような入力装置がもう一個あってもおそらく使いこなせないでしょう。

逆に言えば人間は、自分に今ついてる器官を使うためにしか脳が発達しないということです。

ハードウェアをいかにつけたしてもそれを扱うソフトウェアはインストールされていないわけです。

そのハードウェアさえも人によって違います。

もし同じ脳みそを持った人間2人がまったく同じ環境で育ったとしても、片方の身長が160㎝の肥満体で、もう一人が190cmで細身のハードウェアを備えていれば、彼らが見る世界は全く別物だろうし、結局脳みそも違う方向に進むでしょう。

一方でソフトウェアによってハードウェアが変化することもあるでしょう。

毎日笑顔で過ごすことを心がけて人生を楽しんでいる人の顔は、明るく変化していくでしょう。

毎日鏡を見て自分の顔つきを意識している人は、その人が求める顔に徐々に近づいていくのではないでしょうか。

「見た目で人を判断するな」

とはよく言いますが僕はやっぱり外見こそ人を判断する一番の材料で、普段その人がどういう姿勢で生きているのかがもっともわかるものと思うのです。

そして、心の持ちようで外見が変わるのであれば、自分も出来るだけ外見に好影響を与えるような心持ちでありたいと思っています。

落ち込みそうな時はそうやって、心がマイナスに傾くのを引き戻しています。

それにしても、いったい僕のどのソフトウェアが170cm72kgという小太りになるようにしむけたのでしょうか。「外見は出来るだけ普通に」と願っている僕のどの思考がこんなポッテリお腹をつくるのでしょう。

そんな事を、考えています。カントリーマームを食べながら。

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もし子供が生まれたら

将棋と散歩が趣味でさびしい週末を過ごしている僕ですが、いつか結婚をして子供もできるはずです。

子供には"人生は楽しんだもの勝ち"であることを一番に教えたいし、そのためには自分が楽しむこと、そして周りを笑顔にするのが一番だとわかってもらいたいです。

そのために子供には小さな時からボケというものを仕込んでおきたいのです。

大人たちが常套句として使う

「おいくつ?」

という質問には

「さんまんきゅーせんさい!」

と全力で答えるように仕込みます。

「大きくなったら何になりたい?」

と聞かれれば

「うちだてまきこちゃん!!」

と答えさせ

「夢は?」

ときかれれば早口で

「夢とは睡眠中に起こる知覚現象知覚現象を通して現実ではない仮想的な体験を体感する現象をさします。」

「パパとママどっちがすき?」

には

「はつげんはさしひかえさせていただきます」

と答えてほしいのです。

ま、そんな教育を許してくれる奥さんがはたしているのか、が問題ですが。

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"stay hungry, stay foolish"

アップルの創業者であり、そして今もその動向が注目されるスティーブ・ジョブズ。
彼が大学の卒業式で行ったスピーチを読み感銘を受けた。
http://sago.livedoor.biz/archives/50251034.html
リンク先をたどれば原文もあるし、動画もある。

とても長いスピーチだが特に「PART 3. CONNECTING DOTS」は特にいい。
少しだけ引用する。

you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something ― your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life. "

つまり、「今自分がやっている一見無駄のように見えることも、これまでやってきた無意味だったと思っている事も、必ずいつか振り返ったときに線として繋がる、意味が生まれると信じなさい」というメッセージだ。
そして自分に起きている全てのことは意味があることだと思って生きろということだ。
この考え方は楽観主義が背景にあると思う。楽観主義、というとちょっと考えが浅いようだけど人生をどう捉えるかと考えたときに楽観主義であることの方がきっと幸せだと思う。
要は自分の考え方次第で辛いことも、未来の成功のためのプロセスにすぎないと思えればきっと少しは楽になるはずだ。

もうひとつ、とてもいい言葉だと思ったので日本語でそのまま引用。それにしてもなんて奇麗なスピーチの締めだろう。

"PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」

 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish."

ちなみに先に原文で読んだけど半分くらいしか理解できなかった。英語の勉強しなきゃな。

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セカイ系の分析③ "『世界の危機』の難しさ"

今回は前回に引き続き『世界の危機』を障害としておいたときにどのような効果が得られるか、を考えてみる。
エヴァから世界の危機を取り除いたとき残るのは、14歳の少年少女のありがちな悩みだ。このありがちな悩みだけで物語をつくる事ができるだろうか。
一個人の悩みだけを取り上げて、見るものを惹きつける物語ができるとは到底思えない。いくつかの障害やイベントを用意して主人公を成長させなくては物語として成立しないのだ。
そんな成立しないテーマをたったひとつの仕掛けで強引に成立させてしまう力が『世界の危機』にはあるということだ。

これは「最終兵器彼女」にも言える。こちらについては恋愛というテーマがあるが一般的な恋愛モノにあるような障害は何も無く、主人公とヒロインの性格などを考えて見ると、もし世界の危機が訪れていなければ、何の盛り上がりも無い普通の高校生の恋愛が描かれてしまうだろう。だから、普通は遠距離にしてみたり、3角関係にしてみたりする。
そんな盛り上げのための装置として『世界の危機』を設置することで、何でもない恋愛を壮大な(ような気がする)物語として成立させてしまうのが『世界の危機』という装置なのだ。

ちなみに「ぼくらの」はやや複雑で、『世界の危機』を取り除いても死の来襲によって巻き起こる人間物語という要素が残る。それだけでも十分物語は成立する(イキガミはまさにこのテーマだけで成立している作品だ)のにさらに『世界の危機』をかぶせてしまっている。だから、全体的にごちゃついてる印象を受けるのだろうか。

そしてセカイ系の特徴として挙げられる"具体的な中間項を無くし"というのは本来起こりえないほどの壮大な装置を設置してしまうことによる代償といえる。14歳の悩みなどが世界の危機と直結するはずは無く、理詰めで描いていけば必ず無理が生じる。なので、中間項は描けない。そして数億人の人間を殺した上での大団円など無理な話なので、最終的には『世界の危機』の解決結果は描かれず、精神世界等に逃げ込んで終わる、というオチになるのだろう。

最近ではこの破綻を起こさないために、中間項を描く努力をしている作品が多くあるように見受ける。
そういった意味では20世紀少年がヒットしてしまったせいで、今後同じ試みをした作品は20世紀少年の後追いと思われてしまいそうだ。

20世紀少年は『世界の危機』を取り除いた後に残る『推理』の部分がひどすぎて話にならない。
かつ、『世界の危機』という最高の食材を使ってるのに、まったく心に訴えかける物語になっていない。
こんな作品が"世界系の発展先"だとするなら、あまりにも残念な話だ。

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美容院の話

我が家はおしゃれという概念がなく高校卒業まで僕はおっさんがやってる床屋に行き「スポーツ刈り」の一言で済ませ、夜はドライヤーなんて使わず自然乾燥に頼り、朝は鏡も見ずに学校に行ってました。

でもさすがに大学に行き始めた頃には、おしゃれというものが現代の若者の必須単位らしいことに気づき美容院というものに行ってみたのでした。

事前にネットで調べ、どうやらかぶせ物に手を通すということや、目の前に置いてある雑誌は読んでいいらしいことを学びました。

しかし美容院に行くというのも僕には一苦労で、美容師さんが「おいおい、美容院来てもブサイクは治らないぞw」だとか「こいつ今まで"スポーツ刈り"って注文してたんだなw」とか思って苦笑いするんじゃないかと恐怖心を感じていました。

「いや、美容師さんにとってはおれなんてよくいるショボイ大学生だ。ベルトコンベアーに流れくる製品のチェックをするのと同じことだ。大丈夫!大丈夫!」

と、何度も自分を励まして何とか入店を果たしたのでした。

でもいきなり

「好きますか?」

などと僕の心の奥底に踏み込むような質問をされた時は驚きました。

良くわからずに

「え?・・い、いや・・んー?」

と困っていると店員さんに何度も

「んー、でも量多いんで好いたほうがさっぱりしますよ」

言われましてしまい

(に、日本語がよくわからない!おれがパニックになってるのか?いや、違う。この店員さんがおかしいんだ)

と、完全にパニックになったのもいい思い出です。

そうやって何とか準可がもらえる程度にはおしゃれ講義に出席した僕ですが今でも悩んでいることがあります。

それはお店を予約するときの

「ご指名はございますか」

です。

つまり、前回切ってくれた店員さんが気に入ったならもう一回その人に頼めということだと思う。

正直、髪なんて変じゃなければいいと思ってるし、前回の店員さんに不満もなければ満足もしていない。

それに指名なんてしたらちょっとだけ親密さが増していろいろ話しかけられるんじゃないか?という不安もあります。カット中、出来れば一言も話さずに、流れてくる大量生産品のように右から左へ受け流してほしいと願う僕としては、少しでも会話が増えるような事は避けたくて仕方ありません。

とはいえ、指名をしなかった場合はその店員さんに申し訳ない気もします。

僕ごときに自分の腕前を疑心されてしまった店員さんの感じる屈辱たるや想像を絶するのではないだろうか。

あるいは、電話越しのこの女性に「こいつ、指名料ケチってんだなw」と思われるのでは。

そう思ってしまいどうしても断れなくなってしまうのです。

結果、僕は毎回美容院を変えています。

一回目であれば指名がないし、「どうせもう来ないから」と自分を奮い立たせて愛想の悪い客を装うことも出来るからです。

ちなみに「日本語がよくわからない韓国人」という設定に一度チャレンジしたところ、逆に韓国語がわかる店員をあてがわれてしまい終始話しかけられてしまって大変だったことがあるので、もうしたくありません。

しかし、いかに東京といえど2年間も住んでいれば近所の大抵の美容院は行きつくしてしまうのです。さりとて原宿だの自由が丘だの美容院がたくさんある町は僕なんかが行ってよい資格があるはずがありません。駅に降り立った瞬間、「ごめんなさい」とつぶやいて帰路についてしまいます。

最近ではまた自分で切ろうかな、とも思ってます。

でもさすがに社会人でそれはマズイでしょう。

とても悩んでいるのです。

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セカイ系の分析② "世界の危機という装置"

さて、前回も書いたがwikiを見るとセカイ系とは

「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的な大問題に直結する作品群のこと」と定義される場合があり

とある。
今回は上記の説明のうち、『世界の危機』『この世の終わり』について考えてみた。
古くはウルトラマン、人気コミックで言えばドラゴンボールや幽白なども世界の危機が背景としてある。
これらに共通するのはバトルものであるという点だ。
つまり、そもそも『世界の危機』というのはバトルものとの食い合わせの中で「戦う理由」として発生するものなのだ。

この『世界の危機』という装置をバトルモノ以外のテーマに適用させるという実験的手法がセカイ系なのではないだろうか。
テーマとは思春期の葛藤であったり、恋愛であったり、さらには推理モノなどの一般的な物語でも扱われるテーマの事だ。
前回、エヴァの影響下で"どういう遠ざかり方をしたか"と、あたかも全ての作品がエヴァの影響を受けているかのように書いた。しかし、本当はエヴァによって、"世界の危機という装置が物語を盛り上げる武器として使える"事に気づいた敏感な作者達が、その装置だけを切り出してそれぞれの作品で使っているという事なのではないだろうか。

もちろん『世界の危機』というテーマを扱う以上、何らかの形でセカイ系の主人公達も戦闘を行う必要がある。
wikiによると

セカイ系において、世界の命運は主にヒロインの少女に担わされる。陰惨な戦闘を宿命化された少女(戦闘美少女)と、それを傍観する以外は何も出来ない無力な少年というキャラクター配置もセカイ系に共通する構図とされている

つまり多くのセカイ系ではバトルにあたる部分をヒロインに転嫁してしまい、主人公の"ぼく"はあくまでも作品本来のテーマ(恋愛、思春期の葛藤など)の傍にいるのだ。

では作品本来のテーマとは何なのか。
エヴァではそれは思春期の葛藤(親との関係、周囲との関係、性欲など)である。
エヴァでは主人公もエヴァに乗り『世界の危機』と直接戦うが、それすらも主人公の葛藤というテーマを活かす為の手段に過ぎない。

そしてエヴァのように、多くのセカイ系の特徴としては主人公もしくはヒロインが何らかのロボットに乗る(orなる)という点が挙げられる。
本来、『世界の危機』をもたらすほどの存在に対する対抗手段として主人公たちは物理的に強くなるために修行などをするものだ。ところがセカイ系の作品では物理的に強くなるための努力は軽視され精神の問題に焦点が当てられる。この"強くはなりたいけど努力はしない"というのもいかにも思春期の妄想らしい。
その結果テーマと結びついた"意志の力"(恋愛モノなら愛情の強さ、葛藤ものなら葛藤の克服、など)によって対抗することになる。

こうして『世界の危機』及び危機への対抗手段をワンセットにして、一個人の物語の障害としてセットしたものがセカイ系なのだ。(なので、厳密には"系"という言葉はおかしい気がする。)
エヴァ以外で言えば最終兵器彼女は「恋愛」というテーマを扱った作品だし、「ぼくらの」は「死」というテーマを扱った作品でその味付け(障害)として『世界の危機』が組み合わされたのだろう。
(ちなみに私は20世紀少年もセカイ系とみなしている。っていうか一般的にそう分類されていないのが不思議でしょうがない。推理モノ+『世界の危機』という構成。)

以前エヴァの映画を見たときにも書いたが、恋愛であれ死であれ、そこに用意された障害がでかいほど話は盛り上がる。
つまりセカイ系とは、『世界の危機』という巨大な装置がバトルもの以外にも適用できるという発見によって大流行してしまっている状況なのではないだろうか。
今後も世界の危機というテーマは様々な物語の一角として存在し続けるだろうが、バトルもの以外の『世界の危機』はいずれ落ち着くのではないだろうか。

ところで、エヴァであれ最終兵器彼女であれ最終的にはテーマに帰って来て話は終わっても、用意してしまった『世界の危機』という装置を解決できずに終わってしまっている。
偏狭な個人の現実問題の解決と同時に、用意してしまったでかすぎる装置の片付けを無理なく完了させた作品があればぜひ読んで見たい。

さて、セカイ系だと思った瞬間に自分がさめてしまう理由が分かってきた。
どうやら恋愛モノおける障害物の大安売りだとかドラマの障害者安売りに対する嫌悪感と同じだったようだ。
"またセカイの危機か"、と。
とりあえずまだまだセカイ系を大量に読んだわけではないので、しばらくいろんな作品を読み込んで見たいと思う。

ところでスポーツモノと『世界の危機』を結びつけた作品はまだないのでは、と思うのだがいかがだろう。
今日の試合でワンツーパスを5回決めないと世界が滅びます、とか。
・・・無理だなw

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セカイ系の分析① "エヴァを中心だとすると"

セカイ系を読み間違えていたかもしれない。

ふとそんな疑問がわいた。
漫画を読むたびに「あ、この漫画はセカイ系か」と思った瞬間に少し冷めてしまった自分がいたからだ。
原因不明で冷めるのも癪なのでがっつり分析してみた。

セカイ系とはウィキによると

「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』など、抽象的な大問題に直結する作品群のこと」と定義される場合があり

とある。

要するに、本来世界の危機と直結するはずの無い個人の悩みや葛藤がそのまま世界の危機に直結してしまう作品群のことである。
セカイ系という言葉はエヴァ以降に発表された、その影響を受けたと思われる作品群にたいしてよく使われる。

セカイ系と言われる多くの作品で主人公は青年であり、社会を見る力が無く、独り語りが好きで、いわば中2病的に自分に特別な力があると勘違いしていそうなタイプである。そんな勘違い青年による"自分に世界を左右するような力がある"かつ"自分のような深い悩みの中にいる人間がいるだろうか"かつ"かわいい女の子に好かれる"という妄想を形にしてみたのセカイ系と言えると思う。

ところでセカイ系という言葉を見ると、まるで何らかの線引きがあって「この作品はセカイ系だ」と分類できるように見えてしまうがそうではない気がしている。
思春期の妄想という部分ではエヴァがお手本で、あとはその影響を受けたと思われるそれぞれの作品が、妄想を現実に近づけて見たり、テーマを恋愛に特化して見たりという試行錯誤によって成立している。部分的にエヴァと被る部分があったとして、どこまでがセカイ系なのか、という分類は難しい。

ここではセカイ系と呼ばれる作品群がエヴァからどういう遠ざかり方をしたか、について考えてみる。

例えば、「最終兵器彼女」は妄想部分は残しつつテーマだけを恋愛に置き換えたと言える。

もう少し遠ざかると妄想を現実に結びつける努力をしてみた「ぼくらの」。

そして、妄想ですらないように見せかけようと主人公をおっさんにして、かつ世界の危機を人為的なものに置き換えてみた「20世紀少年」。

つまりエヴァっぽさとして挙げられる以下のような特徴からの遠ざかり方によって作品の特徴が変わるわけだ。
①世界の危機が、主人公(世界の危機と戦うほどの能力も資格もないはずの。)に握られている
②思春期の自分の悩みが世界の全てのように見えている。その結果中間項はすっとばされる
③何で世界の危機が訪れているのかの具体的な説明は無い
④最後は精神世界の話になって破綻する

そういう意味で言えば上記の要素を含む作品は全てセカイ系といえるかもしれないが、そもそもこれらの設定はエヴァから始まったものではないし、それを全てエヴァの影響だと言うのは無理がある。

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最後は笑いに変えるから

槇原範之作曲・松本人志作詞のチキンライスという歌だある。
その詩の中にすごく好きなフレーズがある。

昔話を語り出すと決まって
貧乏自慢ですかと言う顔するやつ
でもあれだけ貧乏だったんだ
せめて自慢ぐらいさせてくれ!

最後は笑いに変えるから
今の子供に嫌がられるかな?

好きなのは"最後は笑いに変えるから"の部分。
どれだけ愚痴を言っても不満を言ってもそれで終わりにしない、
ちゃんと最後は笑いにかえてみせるから、っていうお笑い松本人志の矜持を感じさせる
フレーズだと思う。

自分もこうでありたいな、という思いが凄くあって弱音を吐くにしても相手に文句を言うにしてもちゃんと最後は笑いに変えて相手に負担にならないようにしたい。
空気が重たくなるような事をいったらちゃんと笑いを取って軽くしたい。
どんなことであっても最終的によい方向に向かうように変えたい。そのために笑って終われるようにしたい。

ただ、これはちゃかすのと紙一重で不真面目な人だと思われてしまう、っていう側面もある。
実際それで痛い目も見てるし。

でも、それでも最後は笑いに変えるからっていう気持ちを無くさずにいたいと思うのです。

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症例A

症例A (角川文庫)

この作品では精神科医である榊の亜佐美という患者の治療への取り組みという物語と、国立博物館の職員である江馬が博物館に秘められた謎を解くという2つの物語が交差して描かれる。


榊は新たに働くことにしたP病院で亜佐美という少女を担当することになる。
亜佐美の前担当者であり、彼女を分裂症と診断した沢村は事故によって死亡しており、その欠員として榊が雇用された形となる。
※分裂病・・・現在では統合失調症と改名された病で幻覚や妄想などの症状を呈し従前の生活能力が失われてしまう病

しかし、榊は亜佐美の診断を行ううちに次第に彼女が境界例なのではないか、という疑念を持ち始める。
※境界例・・・病というよりも何らかの理由で性格が一般的ではなくなる症状。

(あくまでも私の思う、です。上手く説明できないのでできたら検索とかしてみてください。ご存知のかたは説明をしていただけるとうれしいです)

榊は沢村の診断にも自分自身の診断にも予断を許さず、彼女の症例を突き止めようと努める。
その過程で分裂病もしくは境界例の症例や、精神科医がその診断をするための根拠や反証が細かく描写されていく。

この精神病に関する細やかな描写が本書の白眉で、慎重な性格の榊を通して読者の理解を深めてくれ、知識だけではなく精神病に対する考え方、しいては人間の心に関する捕らえ方を考えるヒントになると思う。


そして、榊が分裂病と境界例の診断で悩んでいるとき、臨床心理士の由起が解離性同一性障害(多重人格)の可能性を探ってくれないかと言い出す。

私も本書を読むまで知らなかったが解離性同一性障害というのは精神科の医師にとっては眉唾ものらしく、本書でも解離性同一性障害が一種のカルトのようなものであると思われる理由が説明されている。

確かに多重人格といえばドラマの設定などで面白おかしく利用されることで一般人にとっても"馴染みがある"ような気がするものになっている。
多重人格と人間の多面性を近いものとする考え方をしている方も多いと思う。

優秀な臨床心理士だと思っていた由起がそのようなことを言ってきたことにたいして呆れ返る榊に対して、由起は解離性同一性障害患者を診たことがある医者を紹介するからどうしても一度会ってくれと懇願する。
渋々それに従いその医者に会いに行った榊が目にしたものは――――。

ここから榊と医者の会話が数十ページに渡り繰り広げられ解離性同一性障害の症状と治療の経過が説明されるのだが、この部分はまさに圧巻で作者がいかにこの題材に取り組むにあたって取材を重ね、慎重かつ繊細にこの病に触れようとしているのかが分かる。
それは下世話な興味でしかないがそれでも間違いなく解離性同一性障害や精神病に関する理解が深まった。


ネタバレになるかもしれないが、博物館パートを読み飛ばしてもそんなに問題ないと思う。
セオリー通り最後には両者の物語は交差するのだが、その解決も特に面白くもなかったからだ。(これについては博物館パートが面白かったというレビューもいくつか見かける。そもそも私は榊側の物語が面白すぎて博物館パートを熟読していないのだから"面白くなかった"といのは適切かもしれない)

また、榊側も亜佐美の治癒まで至らず、かつ登場人物同士の関係が曖昧なまま不完全燃焼のような形で終わってしまう。

しかし、本書の秀逸な部分はオチではなくその経過なので全く問題ない。

おすすめポイント:
人間の心に関して興味がある方であればきっと楽しめるのではないだろうか。
逆に爽快なミステリーだとか、ノスタルジーを感じたい方にはおすすめできない。

症例A (角川文庫)

著者:多島 斗志之

症例A (角川文庫)

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ぼくらの(鬼頭莫宏)

ぼくらの 1 (IKKI COMICS)

買ったきっかけ:
日経エンタ読んでたらオススメみたいになっていたので読んで見た。

※以下感想は重要なネタバレがあるので未読の方はご注意ください※

感想:
少年少女たちがロボットに乗り、正体不明の"敵"と戦うという点で所詮はエヴァの後追い作品という感じは残ってしまっているが、独特な点として世界の滅亡と関連無く主人公たちは死ぬ事になっていく点が挙げられる。また、少年達に死への恐怖による"戦うか否か"の選択権は無いため、"戦う理由を探すための葛藤"ではなく"戦う決心をするための葛藤"が描かれる。
もう一点この作品の重要なポイントとして少年少女たちが否応無く地球の存滅に関わるという点でセカイ系の流れを受けながらも、"具体的な中間項を挟むことなく"というセカイ系のセオリーを破っている点が挙げられる。
本書では主人公たちの戦闘の結果として町の人々が死に、政府の対応や他国からの干渉があり、少年達はマスコミに追い回されるという現実が広がっていく。

どうせセカイ系の後追いだろうから、と1巻で辞めるつもりが予想外に10巻まで読んでしまった。
いわば思春期の妄想でしかないセカイ系の世界観に社会という現実を結びつけた点に惹かれてついつい読破してしまったわけだ。

しかし考えて見れば、何らかの理由で自分達の地球を滅ぼすモノが現れ、地球を代表する形でボクらが戦うというのは、一昔前のウルトラマンの構図だ。
ウルトラマンの主人公が少年少女になり、その結果社会や国家との結びつきがスポイルされて、少年少女が見る(偏狭な)世界と現実の世界を強引に結びつけたものがセカイ系だ。
そんな風に地球の滅亡という問題から社会や国家という現実感を抜き去ったものをセカイ系だとするならば、この作品は一度引いたはず現実をまた足し算しているわけだ。

この足し算が、「ぼくらの」についてまわる世界観のうさんくささというか中途半端さなのだと思う。
国家や社会を結びつけるわりにはSF的な能力が出てきたり、一方で僕らが戦うテキに関する説明をちょっと納得できるかもしれない程度にしてみたり。

決して愉快でも爽快でもなければ、一方でセカイ系らしい憂鬱さもイマイチなく、しかしなぜかページをめくる手が止まらない不思議な作品だった。

果たしてこの足し算は、セカイ系の発展先を示す"現実と結びついたラスト"を迎えるのか、それとも破綻して終わるのか、あと1〜2巻だと思われるので一応読んで見たい。

おすすめポイント:
15人の主人公それぞれに死までのストーリーが用意されているのだがそれなりのレベルには達していると思う。
絵と構図が上手いとは言えないため、せっかくのストーリーを活かしきれていない点がやや残念。

ちなみに「イキガミ」はこの作品からヒントを得ている気がしているのだがどうだろう・・・。

ぼくらの 1 (IKKI COMICS)

著者:鬼頭 莫宏

ぼくらの 1 (IKKI COMICS)

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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を見てきた。

ひょんな事からオールナイトでヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を見てきた。

我ながらこういうややオタっぽい文化は比較的好きな方なのに、なぜかこれまでエヴァを見てなかった。
どんな作品でも出会うタイミングってとても重要だと思っていて、これまでエヴァを気にしながらもみてなかったのは、たぶんまだ見るべきタイミングじゃないに違いないという思い込みもありました。高校のとき漫画をチラっと読んでつまんなかったから1巻だけ読んで辞めたっていうのもあるけど。

さてさて、今回見た映画は今までアニメとか映画とかでやったやつのパラレルワールド的な扱いらしい。それらを見てないからなんとも言えないけど、ずいぶんと間口は広い気がした。
wikiとかで軽く今までのエヴァのことを調べたところ、この映画では主人公が戦う理由とかメインキャラクターたちの性格とかが一般人にも受け入れやすいように軽く修正されてるのかな?

映画を見ながら感じたのは小学生の頃の憧れ、中学生の頃の妄想を見事に形にしてくれている、ということ。セカイを守るために機械に乗って戦う、というシチュエーション。親に冷たくされてるだとかトラウマがあるだとかの中2病的境遇。きっと高校の頃にはまってたらおれももう一回中2病発症していたに違いない。

そして何より、心の中の童貞を失っていない男たちには堪らないつくりになってるな、と。年上の女の家に同居して、かつ同い年の女の子二人が自分のために努力するなんて童貞にとってはなんとたまらないシチュエーションでしょう!
別に馬鹿にしているんじゃなくて、どれだけ付き合ったり突きあっt・・・してもガストで隣に座ってる女性の胸がやけにデカいだけで小一時間盛り上がれるような、心に童貞を失っていない人のことが僕は好きだし、そういう人たちじゃなければ楽しめないコンテンツが世にはあふれていると思う。


それにしてもエヴァはイロモノどころか王道的作品だったなぁ。最初は主人公を嫌っていたキャラが人とのふれあいを通じて素直になるのに、それと同時に悲しい展開に突入するとか、(設定よくわかんないけど)充電みたいなのをはずしたら5分しか動けないはずのエヴァが乗り手の心の開放に合わせて、強化されて動き出すだとか。



ちょっと別の話だけどエヴァに影響受けた作品群を指してポストエヴァンゲリオンだとかセカイ系と呼ぶ。
wikiでの説明では以下のとおり。

セカイ系は「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』などの抽象的な大問題に直結する作品群のこと」と定義される場合があり、代表作として新海誠のアニメ「ほしのこえ」、高橋しんのマンガ「最終兵器彼女」、秋山瑞人の小説『イリヤの空、UFOの夏』の3作があげられる。

「世界の危機」とは地球規模あるいは宇宙規模の最終戦争や、UFOによる地球侵略戦争などを指し、「具体的な中間項を挟むことなく」とは国家や国際機関、社会やそれに関わる人々がほとんど描写されることなく、主人公たちの行為や危機感がそのまま「世界の危機」にシンクロして描かれることを指す。
つまりセカイ系とは「自意識過剰な主人公が、世界や社会のイメージをもてないまま思弁的かつ直感的に『世界の果て』とつながってしまうような想像力」で成立している作品であるとされている。



おれ自身、高校生のころ説明にある「最終兵器彼女」に死ぬほどはまって病みきったことがあるし未だに2度と読みたくない作品だ。たぶん今読んだらどうってことない作品だし、多くの人にとってもクソみたいな話なんだけど、作品と自分がやけにリンクしてしまう"今読んだらいけない"時期に読んでしまったせいでたぶん一生忘れられない作品になってしまった。この作品もそのうち"今ならもう一回読み返すべき"時が来ると思っていて単行本だけ買って本棚に眠ってる。



また話がそれた。
何かの物語を作るとき作品のテーマを伝えるための手段として障害をおく。恋愛作品であれば恋愛の障害となる事で、軽いものだと家柄・親の反対・距離とかだし重いものだと身体障害・血縁・過去の怨恨とかになると思う。連ドラとか映画でもこの恋愛における障害ネタが限界に来てるよね。
そういう観点から見たとき青年を扱う物語として"世界の危機"をその障害として置くのも何と言うか「行くとこまで行ってしまったな」感がある。これ以上の障害として次は何がくるんだろう、とそんなことを考えております。

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【青年漫画】20世紀少年(浦沢直樹)

たまには嫌いな漫画のレビューもかいてみましょう。

映画にもなった有名作。

この作品は駄作だと断言できる。

この漫画が読者に読ませる動機は
「ともだちは一体誰なのか?」
これにつきる。

20数巻にも及ぶ途中経過の話の中で心を揺さぶるものは何もないし、感動を覚えることもない。ただひとつのお題だけで話がだらだらと進んでいく。

その上すべてのエピソードは後付けでいきあたりばったり。

急に過去の事を思い出す→新しい伏線ってことにする
急に過去の事を思い出す→伏線回収ってことにする。


構成が最悪なら、せめてオチはすばらしいのか?

いいえ、オチまで含めて立派な駄作です。

それだけのひっぱりをした「ともだち」に関する謎解きがひどい。作者にしてみれば複線を引いたつもりかもしれないが、20巻もひっぱって視点の外のとこから出すなんて・・・。あのオチの付け方は短編のひとつで「お、やられた」ってちょっと感じればいいレベルのものだ。
読者の予想外であればなんでもありってわけじゃないでしょうが。

レベルEのオチ、虹ヶ原ホログラフの構成を見習ってほしい。数十ページできれいにオチをつける事が出来ず、構成もめちゃくちゃな気力のない絵を20数巻も読まされた疲れは尋常じゃない。

評価:5点。
取り繕い技術の高さに敬意を評して。

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【少女マンガ】ちはやふる(末次由紀)

ちはやふる

著者:末次 由紀

ちはやふる (1) (Be・Loveコミックス)
内容の前に、作者について。
末次さんといえば数年前に自身の漫画でスラムダンクをトレースしたとして過去の出版物が全て廃刊になるという罰を受けたことがある方だ。末次さんに対するバッシングはある種のブームのようになっていたと思う。ネットに転がってるパクリ検証サイトをみれば分かるが、漫画界はトレースの嵐である。多くの漫画家がトレースをしている中でパクリ元がスラムダンクだったからなのか(そのスラムダンクすらもバスケ雑誌からのトレースが指摘されている)、なぜか末次さんは廃刊になるという最高の罰を受ける必要があるほどにバッシングされてしまった。
その末次さんが書いた長編復帰策の本作が漫画大賞を受賞した際に、その受賞に出席せず以下のようなコメントをしている。
「過去に犯した間違いというものがあり、自分はまだこういう場に出て行けるような人間ではない。一生懸命マンガを描いていくことでしか恩返しはできない」
飲酒運転をした芸能人の謝罪会見ほどうさん臭いものはないが、賞の授賞式という場で敢えて自身の過ちに触れるという姿勢から、作者がどれほどバッシングに苦しみ、そして漫画に賭ける思いが強いのか、という事が伺えてとても応援したくなってしまった。


さて、序文が長くなってしまったが本作は第2回漫画大賞を受賞した競技かるた漫画である。
競技かるたとは百人一首のかるたを並べ、詠み手が詠んだ上の句に合う下の句の札を競技者がいかに早くとるか、を競うスポーツである(これは常識?おれの学校にはこんな文化ないから知らなかった)。

競技かるたの名人を祖父に持ち自身も競技かるたの名人を目指す少年新(あらた)、美人でモデルという憧れの姉を持ち自分自身は才能といえるものを持たず「姉がモデルの日本一になることが自分の夢」と考える主人公の少女千早(ちはや)、ちはやの幼馴染であり成績優秀スポーツ万能の太一という3人の小学生の物語である。

新に「夢は自分のものじゃなくちゃだめだ」と教えられたち千早は名人を目指す新に影響を受け、クイーン(女流かるたの最上位)になることを自分の夢として抱くようになり徐々にかるたの才能に目覚めていく。太一は圧倒的な実力を持つ新に尊敬と、そして悔しさ羨ましさを覚えながらもかるたに惹きこまれていく。そして小学生編のクライマックスとして3人がチームとして始めての大会を迎える。

一般的少女漫画視点で言えば例え部活を題材にしたとしても本筋は恋愛の物語であることが多い。この作品も小学生編が終わり、大人になるにつれてそういった部分が濃くなっていくのかと思っていた。
しかし、この作品は競技かるたを恋愛のための添え物として選んだのではなく、物語の本筋として必要だから選んだと言える書き方をしている。

マイナー競技を題材として扱う作品では、そのスポーツのルールや醍醐味を曖昧にして描かれることが多い。例えば「ヒカルの碁」を楽しいと感じた人は多いと思うが、碁のルールや碁の何が面白いのかをわかった人は少ないと思う。「ヒカルの碁」では碁の勝負内容ではなく、それに纏わる登場人物の心象描写と絵の上手さで楽しさを表現していたが、ルールも知らない読者にマイナー競技の楽しさを伝えることはとても難しいと思う。

競技かるた自体の「どっちが早く取るか」というルールの単純さもあって、ちはやふるでは競技者の熱をかるたを通して見事に表現している。また、おれ自身が卓球をやってたこともあってカブる部分が多くある。
1対1の競技だからこその「勝ちも負けも全ての責任は自分にある」事の重みは団体競技では得られないものだと思う。そして、1対1の競技における団体戦―チームメートに送り出されて競技に臨み、試合が終われば勝っても負けてもその責任を背負って仲間の元に一人で帰らなくてはいけない。応援している側も、仲間の勝負の間はただ祈るしかない。そして仲間の勝負が終わった後には、また自分自身も全ての責任がかる勝負に臨んでいく。自分の一敗がチームの負けに繋がれば悔しくてたまらないし、自分が負けたとしても仲間の力で勝利したときの喜びははかり知れないものがある。
思わず鳥肌が立ってしまうその熱さを描けているのは作者が真剣にこの作品に取り組んでいるからだろう。

そしてもう一つ、高校生になったちはや達はかるた部をつくるのだが、競技かるたは未経験であるものの百人一首の情緒ある趣きと和服をこよなく愛する大江ちゃんという子が加入する。これまでは勝負の熱を伝えるだけのものであった競技かるただが、大江ちゃんによる百人一首の解釈が物語に深みを与えて行くことになりそうだ。おそらく3人の思いを映すように百人一首に描かれた言葉が意味を持つようになっていくに違いない。

最新刊では高校生になり始めてクイーンと対戦をするちはやが描かれている。全く適わずにやぶれてしまった千早、一時期かるたをやめてしまっていた新、二人にはまだ実力は及ばなくとも同じ舞台に立つことを目指して戦う太一。この先どのような展開になっていくのかとても楽しみな作品である。
点数:85
→少女漫画というよりスポーツ漫画として良い。

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【少年漫画】H2(あだち充)

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「タッチ」と並んであだちみつるの代表作といえる野球漫画。

中学時代同じチームで野球をしていたピッチャーの比呂と4番打者の英雄。しかしひょんなことから二人は別の高校に行くことになってしまう。英雄は名門高校期待の打者として1年時から4番を任され、期待に応える活躍をする。一方比呂は、同じく中学のチームメイト野田とともに野球部がない高校に、新たに野球部を設立して甲子園を目指す。

物語は比呂を中心に様々なメンバーが集まって強くなっていく行く千川高校と、名門高校で4番を打ちあっという間に人気者になる英雄の対比を中心に進んでいく。

そしてあだち充お得意の、家が近くて勉強も出来て美人で完璧な女であるひかりが比呂の幼馴染として登場する。ところが他の作品と比べてH2が独特なのは、ヒロインであるはずのひかりが、主人公比呂の敵としてはだかるであろう英雄と付き合っている点である。さらに比呂がいる千川高校に"ともかくただの野球好きマネージャー"として春華が登場して、比呂への恋愛感情をあらわにしていく。この春香も、いつもの"あて馬"の役割として読者に邪魔がられる存在として登場したわけではなく、正当なヒロインのように描かれているのである。

野球漫画というよりも恋愛漫画といっても良いくらいで、比呂と英雄の間でゆれるひかり、どんなに頑張っても幼馴染の二人の関係に追いつけず焦る英雄、一途に比呂を追いかけるがひかりに叶わない春香、最後までに読者に気持ちをよませない比呂という4人の気持ちを軸に話はすすむ。
ともかく、あだち充っぽいとしか表現できない淡々としたやり取りから真意を読み取る楽しさが終始満ちていて、ある意味では最も少女漫画のような少年漫画だと思う。

そして高校3年の夏、ついに比呂と英雄が戦う時が来る。この漫画が野球漫画という言葉だけでくくれない理由がこの試合にしっかりあらわれている。
この試合、比呂は「ひかりのことが好きだ。」といい英雄は「絶対に渡さない」と言い、試合の結果をそのままひかりへの思いとダブらせて試合に臨む。
最終打席まで英雄との対決を避け続ける比呂。そして最終回に二人の"はじめての対決"の場面が訪れる。
ふつうの"野球漫画"であれば、主人公とライバルの対決は9回裏2アウト、ホームランが出れば逆転という場面で訪れるはずである。ところがこの試合千川が2-0とリードした場面で対決を迎えるのだ。つまり、二人の対決の結果にかかわらず試合は千川の勝ちになると分かり切っているのである。(英雄がホームランを打ったとしても、その後のわき役たちが打つはずがない。)

このスコアが、この物語のもっとも優れた仕掛けだと思う。一打逆転の場面では比呂は"わざと打たせる"事はできないが2-0ならできるのである。つまり比呂に、ひかりを選ぶか春香を選ぶかという権利が与えられているといえる。

二人の対決の結果については伏せる。最後の一球、「スライダー」のサインを出したはずの一球がなぜ曲がらなかったのか。その理由を想像することが、この漫画の一番のポイントだと思う。

読む人によって解釈は何通りもできる。おれは次のように読み取った。
比呂は試合前確かに「ひかりの事が好きだ」といい英雄に対して敵意をむき出しにする。しかし、物語の流れからは春香の事を好きになっているのでは?と思われる描写が度々あるのだ。相方のキャッチャー野田にも「本当に好きなのか?」と何回も聞かれる。

比呂の気持ちは「ただ英雄と野球の勝負がしたかった」だけで、恋愛を持ち込む周りにうんざりしている思いがあったのでは?という気がしている。いや、"野球なんか関係なく気持ちはもう決まってるんだよ"と思っていたのかもしれない。
ところが英雄はグラウンドに恋愛を持ち込んで勝手に燃えている。つまり、本当は春香の事を好きになっている比呂にとって、「ひかりの事が好きだ」という挑発は全力の英雄と戦うための手段に過ぎなかったのだろうか。

読み方は何通りもある。試合後に宿舎で「夏色」を歌っている比呂からはその思いを読み取ることはできない。全てを分かっていたようで、全てを知らないのかもしれない。

もう一度読み返した時にはまた違った見方ができるかもしれない。だからこそ、ただの野球漫画としてとらえるにはあまりに惜しい作品だと思う。

点数:88点

→あだち充の最高傑作だと思うんだけど世間の評価はそうでもないのですな。

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【青年漫画】3月のライオン(羽海野チカ)

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「ハチミツとクローバー」で有名な羽海野チカによる将棋漫画。

主人公は両親を事故で亡くし父の友人である棋士に育てられ、自分の居場所を守るために将棋に没頭して、史上4人目の中学生棋士となった高校生の桐山。
中学を卒業して高校にはいかずプロの棋士として生きることを決めて養父の家を出たのになぜか1年遅れで高校に通い始める。家族を亡くした時から桐山には居場所がなく、将棋が強くなったことで養父の子供たちから恨まれ、せっかく高校にはいっても昼飯を一人で食べている。

そんな彼と、隣町に住む同じように両親を失った3姉妹が出合い少しづつ居場所を見つけていく。

話の大枠は温かく、そしてちょっとクサい。
でもこの漫画の魅力は主人公を取り巻く周囲の人たちの物語、キャラクターの味にある。
養父の実の家族は桐山が現れたことで壊されてしまう。子供たちは荒れ執拗に桐山を孤独に追い込む。それでもなお将棋が強いことで自分を愛してくれた養父さえも棋士として対局することになり・・。
ライバルとして登場する二階堂は腎臓を患って常に健康と戦っていながら無駄に明るく熱く、どこか冷めたところのある桐山の心を荒らして、桐山が閉ざしている部分をこじ開けていく。この二階堂のモデルが実在した「村山聖」という棋士であることを考えると、この先の展開があまりにも怖く、つらい。
3姉妹にも両親がいないようで、桐山と似た境遇でありながら強くまっすぐでそしてどこかおせっかいだけど、人とかかわることが苦手な桐山が惹きつけられるようにその家を訪れるようになってしまう。

題材は将棋ではあるけれど「ハチミツとクローバー」と同じように天才・孤独というキーワードを使って描かれる心の交流に胸が熱くなる漫画。
ただし、作者特有の心象風景の描写がハチクロの頃より分量が増えすぎていて、慣れない人にとっては相当うっとおしい感じになってそう。何事も過ぎたるはなお及ばざるがごとしですよ。
点数:70点

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【少女漫画】君に届け(椎名軽穂)

君に届け
君に届け (1) (マーガレットコミックス (4061))
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宝島社の『このマンガがすごい!』2008年版オンナ編の1位作品「君に届け」。

ヒロインは人付き合いが下手で見た目が暗い。名前が爽子であだ名はずばり「サダコ」。
でも人付き合いが下手なだけで苦手じゃないし、本人はたぶん自分の性格がくらいだなんて思ってない。でも周りの人が怖がるから、あまり話しかけないでおこうって考えたり、かといえば自分が怖い話をすると喜ぶからって頑張って怖い話を覚えてきたりする。
サラリーマンが昼間に一人で公園のベンチに座ってるのを見た時のような、ちょっとかいわいそうで「頑張れ!」って声をかけたくなってくるような、応援したくなる女の子。ちょっとやんきーっぽい友達2人と同じ目線で、爽子の事をもどかしく、でも温かく見守っていたくなる。

一方相手役の男の子・風早はクラスの人気者で明るくて爽やか、っていうヒーローの見本のようなやつ。

この漫画の面白いとこは、読んでる人が爽子の友達になったような気持ちになって「頑張れ、頑張れ!」ってなっちゃう。いま、男にお勧めしやすい少女漫画1位だと思う。

今はまだ連載中でまさに「頑張れ!」が一番大声になるところ。
ぜひぜひ読んでほしい。

相手役の風早の説明が1行になってるのは、まだ風早が「程よく爽やかで、普通の人並みに悩んだりする」っていうとっても普通の男として描かれているから。これまではほとんど爽子視点で描いていて、それだけで十分に面白いから掘り下げられてないけど、この先風早が掘り下げられるようになるのかな。

でも今更暗い過去とかつけずに綺麗に終わってほしいっていう気持ちもある。

"憧れる"ヒロインじゃなくて"応援したく"なってしまうあまり無かった漫画。
点数:90点
→今連載中の少女漫画では一番。男にもおすすめ。

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【少女漫画】先生!(河原和音)

先生!
先生! (1) (集英社文庫―コミック版 (か42-3))
初めて読んだ少女マンガ。たぶん中3の秋のはず。

この時期ちょっと漫画に膿んでいて、棚においてあった少女漫画に軽い気持ちで手に取った。

ヒロインは高校生の女の子で、恋愛に奥手で一見気が弱くてうじうじ悩んでしまう。でも気持ちに正直で芯が強いっていう多くの少女マンガに共通する性格。
相手は学校の先生で背が高くて、手が細くてズボラだけど優しい、っていうこっちもいわゆるありがちな性格。

この漫画の魅力は先生の優しい言葉だと思う。読んでいて不安になっている読者すらもフワっと包んでしまうような言葉、行動。こういう男はかっこいいな、って素直に思うけどたぶん自分はなれないなぁ。

中盤からはそんな先生もたまに弱くなってしまうけれど、その分ヒロインも成長して救ってくれる。

ヒロインの友達の二人もすごくキャラ立ちしていて、ひたむきな主人公とそれを見守るちょっとおせっかいな友達という少女漫画のお手本のような関係が成り立っている。
登場人物が前向きに、ひたむきに成長していくことを温かい気持ちで見守れる、そんな漫画。

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【歴史漫画】三国志(横山光輝)

自分にとって「ズッコケ3人組」と並んで読書という行為を教えてくれた本。


内容は言うまでもなく中国の三国志の話で黄巾の乱から孔明の最期までを淡々と書き綴っている。
絵は特色がなくうまくもないし下手でもない、人物も魅力的でもない。描写も強調したりせず淡々と描かれている、にもかかわらず60巻という量を読むのに全く飽きさせないのなぜか。

歴史もの全般に言えることだけど、そもそも三国志や戦国時代の話はもともと魅力的なんだと思う。(歴史がなぜ魅力的か、ってのもいずれ書いてみたい)
その魅力を損なわず、無駄な飾りもせずストレートに書いているんだと思う。きっとこれはすごく難しくて、文化と呼ばれるどんなことにも――例えばおれがまったく魅力がわからないクラシック音楽でさえも――魅力は必ずあるんだと思う。横山光輝は鮮度を保ったままそれを他人に届けることが出来るプロなんだろう。

大好きな先輩が"趣味っていうのは、そのモノの真髄に触れることが出来た人だけが知っている面白さのこと"っていうような事を言ってた。

その"真髄"を絵に変えて、生身のままで届けてくれている、そんな漫画。

採点:50点

→すべてのレビューはこの点数を基準にします。

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在日コリアン視点で見る椿姫彩菜

今日はちょっと自分が在日コリアンであるという部分から派生して考えていることを。

ここ1年くらいで椿姫彩菜がテレビによく出てる。

彼女は性同一性障害であったため性転換手術をうけたのだそうで、性転換後にファッション誌で活躍したあと芸能人としてテレビに出ているらしい。

彼女の事を見てて特別だなと感じる点があって、「芸能人のおかま」といえばおすぎとピーコ、サカナくん、マツコ・デラックスなどなどいるけど、芸能人としてのポジションは「おかまであることをいじれらる」ところにあると思う。共演している出演者がイケメンであればおかまであることをネタにしてちょっとカマっ気をだして笑いをとる。周りの芸人がそれにつっこっむ、といった形でいじられる、もしくはいじらせるのが常。
この人たちはコンプレックスを笑いに変えられた人たちだと思う。笑いに変えることで、おかまに関するタブーを取り除いてきた。


ところが彼女にはそれができない。おかまであることを笑いにしてはいけない。ちょっと扱いが難しい人だ。
ドキュメンタリー番組とかドラマの一ネタとしては「悩むおかま」のポジションはあるけどバラエティ番組にそのポジションはないから。笑いという形でしかタブーを取り外せないようにこれまでの社会が彼女たちを縛り付けていたのだと思う。


そもそも、タブー視されているマイノリティというのは扱いにくいものだ。
自分も普段の生活で在日コリアンだと告げた後、相手がとても気を使いながら親のこととか、考えの方ことだとかを聞いてくるのを感じる。そんなに気を使わなくてもいいのにちょっと申し訳ないな、と感じる。

そういうタブー視をおかまの先人達はあのキャラでひっくり返してきた。
好印象を持たせることばかりじゃないけど、在日コリアンについても、北朝鮮、総連、パチンコ、焼き肉、ソニン、姜 尚中、さらには「歴史問題を話すとキレる」などなどその人が持ってる在日コリアンに対するある種のレッテルで接し方が決まってくる。
レッテル貼りが完了している人のそれを覆すのは難しい。

彼女はこれまでのおかまのレッテルをひっくり返す存在になれるだろうか。
正直、バラエティに出ててもさほど面白いこと言わないから好きじゃないし、やっぱり"元オトコ"であることにある種の違和感は感じてしまう。こればっかりは我ながら残念だけどしょうがない。ごめんなさい。


彼女が出現したことによって、おかまたちにとってタブーを笑いに変えたその次にある、現実を知ってもらう段階に入っているのではないだろうか。どうか、彼女がニュース番組にしか出ないような芸能人にはなってほしくない。バラエティにも出られる女性芸能人としてポジションを確立して、"元オトコ"に関する違和感を取り除く存在になってほしいと思う。そうなったとき、彼女に力をもらう人たちがきっとたくさんいるだろう。


在日コリアンはどの突破口からタブーをやぶるんだろう。おかまたちと違って、在日コリアンは深刻に受けとられることが多すぎる気がする。在日コリアンであることを笑いに変えられるような、そういう人が必要なのかな。

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差別の話

私、中学高校らへんは小林よしのり大好きでした。

左翼の頃も右翼になっても。

ニュースに頼らず、噂にながされず、
情報を元に自分の頭で現実を解釈する楽しみを教えてもらいました。

最近まったく読んでないのは小林よしのりが興味持つ内容と自分の興味が合わなくなったからです。


さて、その中でも感銘を受けた部分について。

小林は「差別は喜怒哀楽と同じ、人の感情だ」といってた。たぶん。


今考えてみると喜怒哀楽は一人のヒトに備わる天性だけど
差別は人間社会の中にいるヒトに必ず発生する天性だと思う。


人間が絶えず成長して、人類が発展するためには競争は必須だと思う。

誰もが他人に勝つために努力をするし
競争に勝ったことに満足をする。

競争に勝つために自分を向上させる前向きな取り組みを努力だとすると
競争に勝つために他人を貶めて勝った事にする作業が差別。

たいした中身の無い自分を成長させる根性も根気もない人間が、それでも競争に勝ったことにするために無条件の敗者を作る作業が差別。


数十年~数百年前の差別は、たとえば黒人への差別や身分による差別。
色が黒いことは人間の優劣を決めないし、身分の上下も決めない。

昔はそんな根拠の無い差別でも成立してた。


最近は倫理だの道徳だのが一般化したせいで根拠なしの差別をする人間は軽蔑される。
その結果日本のネットでは、あたかも差別することが当然のように思わせるための理論を構築することが流行ったみたい。


書き終わって気づいたけどここから在日限定の話になってるなw


在日を差別するを事を肯定するためのウソコピペの流布。陰謀論の犯人に在日だとか総連を設定する手法。

問題はそれらの1次発信者じゃなくて、その"差別するためのウソ"を信じちゃう人たち。

もっと自分の頭で考えて、現実を解釈する力を持ってください。

おかげさまでこっちは初対面の人間に不愉快な言葉を投げかけられたり、まず相手の在日観を調べる作業をしたり、ってことしなくちゃいけないのよ!ほんとかんべんしてー><

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お笑い分析5~若林ピンの面白さ(オードリーDVDより)~

2008年のM-1のちょっと前からニコニコで見つけてオードリーの事が大好きでした。
というわけで彼らのDVDを購入。

正直言ってズレ漫才はもうお腹いっぱいという感じで、初見のころの新鮮さはなかった。面白かったけど。

ただ、若林(オードリーの"じゃない方"ね。)のピンネタが一本はいってるんだけどそれはホントに腹抱えて笑わせてもらった。
あれを見ればオードリーが一発屋で終わらない理由がよくわかる。今は春日が前面に出てるけど、それを支える頭脳としての役割だけじゃなくてスポットライトを浴びても大丈夫なチカラを相方も持ってる。

そのネタは「野球のスイングを東京の駅にたとえて説明する」っていうネタで、題名聞けばわかるとおりバカリズムの「県を持つとしたら」みたいなシュールっぽいネタなんだよね。

ただ、若林のすごいところはそのシュールな設定の中にあるあるネタとベタをうまく混ぜているところ。
一番笑ったのは高円寺へのコメント。ここ半年ぐらいで一番笑った。

すごく内容書きたいんだけど絶対文章で読むより見たほうが面白いから、オードリー興味ない人もレンタルでたら是非借りて見てください。


あと特典映像で「春日にお金を使う喜びを教えさせる」企画で、寝起きの春日を捕獲⇒通帳番号聞き出して10万おろしてむりやり使わせるっていう企画があるんだけど、寝起きに若林と助手二人が部屋に侵入して春日を捕縛しようとしたら、春日が暴れて失敗っていうくだりがありました。(2回目の突撃で捕縛成功する)

バラエティ的な常識でいえば最初びっくりして反抗しても途中で空気読んで捕縛されるべきだと思うのね。
そしてお金を使ってる間も春日が嫌がって若林がキレる、っていうミニコントみたいなのがあるんだけど・・うーん、たぶん春日は本当に倹約家なんだろうけどそれにしても本気で嫌がる顔をしすぎなような・・。

たぶん春日は「倹約家キャラ」が受けているのであって「倹約家であること」が受けているわけじゃないことをわかってないんじゃないかな。

捕縛に本気で反抗するところといい、イジられ方にいびつな部分があることがちょっと心配。今はいじる側の人たちが楽しんでくれてるけど、そういうバラエティ的なノリを読むことができないとそのうち使ってもらえなくなっちゃうんじゃないかしら。たかが一ファンながらちょっと心配です。

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お笑い分析4~サンドウィッチマン~

M-1は毎年見ているけど歴代の中でサンドウィッチマンとアンタッチャブルが一番面白かったと思う。

このブログ(http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/20081214)読んで久々にサンドのネタを見たんだけど・・・面白いなぁ。本当にすごい。

街頭アンケートの方は実はそれほどでもないと思ってる。上のブログで富沢の回想として

<i>「このアンケートをどこで知りましたか?」

「お前だよ!」</i>

のくだりで客を掴んだように書いてあるけど、このくだりはそれほど強烈なものでもないように感じる。確かに観客の笑いは一段ボリューム上がってるけど完全にグッと掴んだのは血液型のくだりだと思う。
伊達の突っ込みのうまさが客をすこしづつひきつけて、最終的に富沢の反応が完全に惹きつけている。

それよりも最終決戦でやったピザのネタ。
面白すぎる。一番すごいなと感じたのは

<blockquote>「価格を安くしろ」

「僕バイトなので・・・500円までしか無理です」

「なんだ、できんのか。まけられんじゃねぇか」

「いや、以下は無理です」

「以下は求めてねえよ。はい、500円」

「はい、20円のお返しです」</blockquote>

この下りは「バイトだから」と言って、まけられないと逆にふったあとに500円にするっていう単純な構図で、この部分の笑いはここで終わりかなって油断させられたところで「20円のお返しです」もう一ボケ。
日本のお笑いは本当にすごいと思うんだけどそれは客も一緒で、ちゃんと笑うべきところで笑うしボケのあとつっこみが入ってから笑うように準備することができている。そういう客のレベルの高さまでちゃんと頭に入っているから、客の「ここで一笑い終わったんだな」という常識をフリにしてもう一段ボケられるんだろうなぁ。「いや、以下は無理です」が、ボケつつ次のボケへのフリにもなってる。この構図はホントすごい。
っていうかこのクダリ以外にもピッツァとかテクニシャンとか・・・。手数を出しつつ大技も何回も出してて、そりゃあ優勝するわ。

いろいろ書こうとおもったけど上で書いたブログの分析が凄すぎて書けないやw今年もM-1新しい笑いが見れると言いなぁ。

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笑いの分析3~コント~

コンビ芸人のネタとしてコントと漫才がある。

漫才の大会であるM-1でも厳密に言えばコントをやってる芸人が結構いてサンドウィッチマンは完全にコントだしオードリーも片足はコントにのっかってる。

たとえばサンドウィッチマンは服装とかは普通のままでも漫才の導入部で

「いやぁ、世の中興奮することはたくさんあるけど○○の時は特に興奮するね」
「間違いないね」

といってコントに入る。
オードリーは漫才でも"春日"というコントキャラでやってる。

で、コントって何なのかというとキャラ付けをすることで[笑いの分析1]で書いた"常識"の枠組みを作って前フリを簡略化する作業だと思うのです。
どういうことかというと、"普通の人2人が会話しているだけ"である漫才では会話の中でのフリと一般常識というフリしか使えないけど、コントだとそのコントでやってるキャラとシチュエーションの常識を前フリで使える。

警察官のコントなら"警察官の常識"が自然と前フリとして入るし、葬式コントなら葬式の雰囲気(ふざけてはいけない、不謹慎なことを言ってはいけない、など)が前フリとして入る。その分前フリの量を減らしてボケに時間を使える。だから、M-1では本当はサンドみたいなのはダメだし、だからR-1ができたんでしょう。

前に書いた笑いの分析2で初対面の人にはレッテル貼りをする、と書いたけどこれもたぶんコントと同じ構造で、一定のキャラづけを相手にすることでいじるにあたっての前フリを随分と簡略化できる。

逆に自分にデブキャラとかホモキャラをつけるのも簡単に笑いを取るための手法だし(デブキャラさえつけば極端な話、「おなかすいた」の一言で笑いが取れる)、案外日常でコントと同じ仕掛けを作って笑いを取ることって多い。


自分としては最近デブキャラを使いすぎて笑いが安易になってしまっている感がある。キャラ付けして笑いを取るのは楽だから、キャラなしの頃に笑いをとってた技術が落ちてきてしまってる気がします。


どんだけ笑いとりたいんだよって話ですがほんとうにお笑い大好きな人なんです。世界で一番すばらしい仕事はお笑い芸人だと思ってます。サービス、情報、お金、安心、などなどいろんなものを提供する仕事があるけど笑いほど人を幸せにする仕事はないからです。

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笑いの研究2~自分の笑いのとり方を分析~

さて、笑いについて本気出して考えてみる最低な記事第2弾。

もうこうなったら恥ずかし死にするくらい自分の笑いを分析しよう。
ぱーっと考えてみたところおれができる笑いは「逆へのフリと裏切り」、「抽象化」、「こじつけ」だと思った。ちょっと別種だけど「レッテル貼り」も得意な気がする。

「逆へのフリと裏切り」はミステリーのミスリードと同じ構造で、会話相手にオチとは逆の方向に話の流れを読ませて、最後に逆のオチをつける。
例としてはこんな感じかな。

例1
「今めっちゃダイエットしてんだけど」
「へぇーどんくらいやせた?」
「3ヶ月で5・・・くらいかな」
「おお、結構やせたね」
「うん、5㌘もやせた」

例によって例文はサムイです。

例2
「最近かわいくなったね」
「ほんと?」
「なったなった、昔はもっと子供っぽかったというか女らしさが足りなかったというか・・」
「やっぱり?わかる??」
「いやぁ、わかるよ、ほんとかわいくなったよね、宮崎あおい」

・・・こんなやつ友達なりたくねー・・・・

注意点は、ミスリードさせてることがわかるわざとらしいフリをしてはいけない事かな?でも実はミスリードさせてることに気づいてくれない人はたまに、フリの途中で真剣に否定したりするから難しい。
やっぱミスリードさせられてることをわかってながら乗ってくれる人が好き。
そう考えると友達には多いかなぁ、わさと逆にふってるのをわかりながら乗ってくれる人。
たぶん、一緒にいて心地よいひとは、こういうフリみたいな部分をわかってくれる、もしくは「こいつ何か言うな」って読んで泳がしてくくれる人な気がする。



さて、初対面の人と絡むときに一番簡単だからついやってしまうのが「レッテル貼り」。
特定の一人にレッテルを貼ってそこをいじる。
一番多いのはかわいい女の子に悪女キャラを張ることかなぁ。金が好きキャラか私が一番かわいいキャラとか。
その子が何を言っても「・・・って言ってる自分かわいい、って思ってるんだ?」みたいな感じでふれば、結構乗ってくれる。"結局自分が一番かわいいことをわかってる"子だから通用するんだけどね。このイジリはかわいい子にしかできないな。・・・っていうかこのイジリは面白いのか?書いててあまりの寒さに自信なくなってきたw
男をイジるのは大変だなぁ。その人のプライドを傷つけたらそこで終わりだから。それにうまくイジられなれてない人多いんだよな。黙ってマナイタの上に転がってればこっちが綺麗に刻んでササッと揚げておいし~く仕上げてあげるのに、何かジタバタしちゃう人多いんだよ。(ああ、こんなこと書いてるお前は何様だって話だよね。。われながらSAIAKU☆)
とりあえず男をイジるときは、絶対にレッテル貼った相手以上に自分を落とすこと。これさえすればまぁなんとかなる気がする。



ぱっと浮かぶのはこんな感じか。あとの二つはいずれ書こうと思います。

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笑いの研究1~緊張と緩和、ときどき常識~

ワタクシ、中学高校くらいまでとても笑いが取れない人でした。
どれくらい面白くない人だったかというと集団で数時間いて一回もその場の笑いをとらず
かつ微妙な発言をして空気を微妙にする、という最悪なキャラクタだったのさ。

え?今は面白いのかって?
んー・・自分で言うのも何だけど、相性のいい相手がいる場であればそれなりに笑いはとれているのではないかと。(ホント、こんな事自分で言うの最低だわw)

で、高校くらいのときに「自分はなんてつまらない人間なんだろう」と考えたわけです。
そして世の中には生まれつき面白い人(面白く見える人?)と理論立てて笑いをとってる人がいると思ったのです。

高校の時点で顔がでかい以外まったく特徴もなく面白くないおれとしてはあとはもう理論立てて笑いをとっていくしかなかった。

別に体系立てて勉強したわけじゃない(そんなんあるのか?)けど、結構「今のどこが面白いんだろう?」みたいなこと考えながらバラエティ見たり友達の会話聞いてたころはあった(何回も言うけど、ほんとこんなこと書くの最悪だw)



さて落語家の桂 枝雀という人の笑いに対する考え方に「緊張と緩和」というものがある。
簡単に言うと、場が緊張しているときにその緊張をふっと緩和させると笑いがうまれる、と。
例えばお葬式コントとか結婚式コントとかはこのパターンだよね。(遺影の写真にチョビヒゲ書くとか、弔辞でぼけるとか。)
真面目なことをしなきゃいけない緊張した場で、ふっとその緊張を解く見たいな事。

日常会話でよくある(というかおれがよく使う?)このタイプの笑いは"怒ったフリ⇒裏切り"だと思う

「ねぇ、甘いもの食べない?」
「は?おれが太ってるからそんな事いうの?デブだからっていつでも何でも食べると思うなよ!」
「・・・ごめん。。」
まぁー今は全然食べるけどさ!チョコレートパフェ2つください」

・・・例文のサムさには目をつぶってください(_ _;)

これは気軽に相手が突っ込んでくれる関係を構築できていれば結構だれでもできると思う。


「緊張と緩和」が笑いにつながるっていうのはすごく納得できる。
緊張⇒緩和のときに笑いは生まれるけど緩和⇒緊張からは笑いは生まれないのはなんでだろう。
たとえばソファですごくリラックスしてる人のもとにいきなり強盗が入って来たら、緩和⇒緊張で笑いは生まれない。その強盗がドッキリだとわかったとき緊張⇒緩和で笑いが生まれる。
この緊張⇒緩和の構造はそのうち深堀りしてまた書こっと。


自分の意見としてはただ緊張⇒緩和をするんじゃなくて、そこにズレ=本来あるべき姿じゃないことを発生させるのが重要だと思う。
ズレが発生するための"本来あるべき姿"=前フリについて、考えてみる。
例えばこの↑に書いたように、会話の中で前ふりをして、その逆のことを行うことによってズレを生む。前フリが即席な分大爆笑とるのはは難しいけど、日常生活ではこれができる人がアベレージヒッターだと思う。


一方、一見前フリがない笑いもある。これは"常識"を前ふりにしている事が多い。
常識には3種類・・あるかな?ほかにもあるかもだけど。
禁止の常識と不可能の常識、そしての不要の常識。このうち一番わかりやすい笑いにつながるのは禁止の常識だろう。
(不可能の常識と不要の常識の話はまたいつかかこっと。"不要の常識"はシュールに綱がるっぽいな)

そんな恰好をしてはいけない、という常識にたいする奇抜な服装、
公の場でそんな事言ってはいけない、という常識に対する突飛な発言
などなど、"常識"を前ふりにした笑いは山ほどあるけど、その"常識"は人によって違う。
だから、この"常識"を使って笑いが取れる人っていうのは、話相手のローカルな"常識"を読み取るのがうまい人だと思う。
相手の常識を把握する、ということを言いかえると、それがどの程度禁止なのかを把握するということだと思う。

そういう意味で言うと多くの人にとって禁止されている"常識"として、公の場での下ネタがある。
程度に差はあれど下ネタはほとんどの人にとっては"禁止されている"部分がある。
だから、タイミングさえ誤らなければ下ネタは最も汎用的な笑いの道具だと思う。(おれがただの下好きなだけ?w)
相手の"禁止度合い"を見定めて、そして会話の中で禁止のラインを緩ませて
え?そんな事いっちゃだめなんじゃないの?(緊張)→ま、いっか(緩和)となるタイミングで使えれば笑いがとれるはず。

一方、何があっても下ネタはダメって人もいる。この人たちは禁止の度合が強すぎて緩和できないようになっている。こればっかりはこちらの力量不足というしかない。
ただ、禁止される事で生まれているその緊張を緩和で解消することができなければ、ゆがんだ方法での解消となってしまうと思うのでが。。ま、これは性犯罪とかそういう別の話か。






以上お笑い講座第1弾でした。いかがでしょうか。これを読んだらもう誰もおれの言うことに笑ってくれないのでは、という恐怖もありつつ、でも書いてて楽しいのでまた書きますw

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はじめに

どうも、23歳都内在住男子の在日コリアンでございます。

エキサイトブログをやっておりましたがスクリプトを使えないのが不便すぎるため移転いたしました。

メインテーマとしては漫画のレビュー、お笑いの分析になりそうです。

その他仕事のことや小説・映画、あとは在日コリアン関連のこともちょこちょこ書いていきたいと思います。

ちなみに移転を手作業でやってるのでしばらくはごちゃごちゃするかもしれません。

どうぞよろしくお願いします。

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